悠々として急げ

【茫猿遠吠・・悠々として急げ・・01.09.11】
 先週の01/09/09付けの茫猿遠吠では、たいへん野暮で品のない
記事をお届けしてしまいました。また、己のことだけならともか
く他業の方まで誹謗するような物言いを犯してしまいました。
さぞかし皆様を不愉快なお気持ちにさせてしまったことであろう
と反省しますと共に、不注意な表現を深くお詫び致します。
 メールマガジン読者の方には、お手許のファイルから削除いた
だきますようお願いします。
「協調性と社交性」
 標題の言葉と並んで、最近出会った言葉の中で好きな言葉であ
る。ちなみに「悠々として・・」は開高健氏、後者は忘れました。
「協調性」という言葉は、一つの文化社会に協調するという使わ
れ方が多い。例えば日本文化に協調する。村社会文化に協調する。
業界文化に協調する。社内文化に協調する。文化という文字を省
いて読めばその持つ意味がもっとはっきりする。
 これに対して「社交性」という言葉は、異文化との交流・社交
性・親和性という意味で使われることが多いようである。例えば、
他社との交流、他業界との交流、他国との交流などの場合に社交
性の有無が問われることが多い。
 我が村から隣村へ、都会へ、そして他国へと外へ外へと交流の
輪を拡げる社交性というような使われ方である。
 得てして、両者を兼ね備えるのは難しく、協調性のある人は社
交性に欠け、社交性に富む人は協調性に欠ける傾向が多いと云わ
れる。
 これは、内向きに和を貴ぶ人と外向きに進取の気質を持つ人と
の差違であろうし、長いものに捲かれろ指向が強いか異質なもの
を恐れないかというような物差しで分別整理できそうだ。
「E-mail道」
 先号の反省も込めて書道とか華道という意味で、E-mail道と云
ってみた。
 電子メールであるが故に無味乾燥はやむを得ないと開き直るこ
とが多くはないだろうか。まだ、始まったばかりだから仕方がな
いと云えば仕方がないが、肉筆の手紙との違いは歴然としている。
 あまりにも手軽だからか読み直しも推敲もしないE-mailが溢れ
ている。1行当たりの字数計算もないし、やたらとEnterキーを押
すから読みにくいことこの上ないE-mailがよく届きます。
 なかには相当の長文なのに、行を空けないから目がチラチラし
て読みにくいE-mailも届きます。(単に加齢と眼病のせいかもしれ
ませんが) E-mailといえども、肉筆手紙と同じように、少しの心
遣い一つで気持ちが伝わる手紙となる。チャットに流れず、品よ
く、背骨のある文章を書けば、E-mailは新しい文化を創ってゆく
ように思う。【鄙からの発信は通常1行65バイトで書いています
が、最近携帯B5ノートでは読みにくいことが判りましたので、今
は1行60バイトで書いています。】
 そっけない文章や、巫山戯 (オフザク)に堕ちた文章ばかりを書
いていてはE-mail道にはいつまで経ってもたどりつかない。
新しい道具に新しい命を加えてゆくのがE-mail道なのですが。
「総論賛成、各論反対」
 会議で一つの議題を巡って、議すれど決せずということがある。
なぜそうなるかと云えば、よくみられる悪しき傾向ですが、総論
は賛成であるという態度を表明しながら、各論部分で反対を言っ
て結局の処、提案をおシャカにする。もしくは著しく遅延させて
しまう。何も茫猿の廻りだけに看られる現象ではない。日本社会
全体に看られるところの、ある種のサボタージュ行為であり、無
責任行為であり、事勿れ行為である。
 総論賛成・各論反対論者の常套手段は、各論部分で強硬に反対を
言いつのるものの、決して代案を出さないと云うことである。
 少なくとも総論として賛成したのであれば、速やかに目的が達成
されるように積極的な代案を提案するか、妥協点を探るのが責任あ
る態度と云えよう。だが、決してそのような行為にはでない。
 ひたすら各論部分の反対を言いつのるだけである。殆どの場合
に「目的は賛成ですが」、「実行すべきコトと考えますが」、な
かには「よくは判りませんが」などと訳の判らない前置詞をおい
て、各論反対をのたまう。
「蛇足的に比準表について」
 土地価格比準表についての議論が錯綜したり見当違いになった
りすることが多い。それは、土地価格比準表の存在意義について
同床異夢であることに帰因すると考える。
 建前論的には、地価形成のメカニズムを分析することにより比準
表を構成し、その比準表を用いて地価を試算する社会科学的に合理
的なツールと表現できる。
 本音論的に云えば、鑑定士の経験と判断により判定する地価につ
いて、自分以外の第三者にその判断の根拠を論理的に説明する為の
ツールといえる。真実はこの両者の中間に存在するのかもしれませ
んが。
 たとえば、重回帰分析、数量化二類分析、この辺りはまだ理解で
きるかもしれませんが、ヘドニク分析や高等数学を学ばずして建前
論に云う比準表を、構成し理解できるでしょうか。統計学的に、数
学的にみて理論的であるのは何であるかという視点を抜きにして建
前論の比準表は構成できません。
 一般的にみて、客観的にかつ衡平に評価されていると示すため
には、秤量比較した共通の物差しを提示する必要がある。いわば
自分の判断を背面から客観化するツールであるといえる。または
説明責任を果たすツールで在るともいえる。狭義に云えば、格差
の内訳を明らかにするツールと云えようか。
 鑑定士自身の判断根拠を分解した上で、土地価格形成に影響す
るであろうと考えられる価格形成要因項目で再構成した表が比準
表であると云えよう。そして、その比準表の客観性を担保する為
には、恣意的と受け取られがちな要因をできるだけ排除し、価格
試算過程を説得力あるかたちで第三者に示すツールが比準表であ
ると云えるのではなかろうか。
 また、価格形成要因には通常の方法では数値化が非常に困難な
要因が多くあり、実のところ価格はそれらの説明しがたい要因で
構成されているのだという説もある。

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