七年の長さと短さ

【只管打座・・七年の長さと短さ・・02.01.17】
翌月から親元を離れて一人暮らしを始める息子の荷物を運んで町に入ったのは、渋滞を避けるためにまだ日の出前の闇の中でした。灯りが乏しいから暗くてよく見えないので町の様子は判りませんが、異様な臭いが車の中にも充満してきて、震災の雰囲気は十分に感じていました。

少しずつ明るくなって、見えだしてきた廻りの景色は想像を遙かに超えたものでした。TVや新聞で承知していましたが、現場に立つと云うことは、まさに「百聞は一見に如かず」でした。


遅れて鉄道でやってくる家族を待ちながら、彼が入居する予定の単身者用アパートの付近を歩き回ったのですが、崩れた家屋の廃材を積み上げたままの場所、崩れたままの木造住宅、多分焼け落ちた家の跡なのでしょうかスキーのストックと空き瓶に花が飾られた空き地、小公園には青テントの仮設避難小屋などなど、震災後既に2ヶ月近く経過していましたが、町の空気は震災の余燼をそのままに残している神戸でした。

あれから7年、もう7年でしょうか、まだ7年でしょうか。震災後7年目の特集番組を伝えるTV番組を見ながら、久しぶりに記憶を蘇らせていました。そして時の過ぎゆく速さを実感していました。

あの日の早朝、床から突き上げる振動で目が覚めた瞬間に地震だと直感してTVを付けました。暫くして「関西方面で地震です。震度は不明です。」というテロップが流れました。それからの経緯は皆様の承知のものです。

学生時代から何度も訪れた神戸でしたが、三宮も元町もポートピアも傷だらけの神戸に変わっていました。あれから7年、上辺からは震災の傷跡は探さなければ判らなくなりましたが、独居老人の問題、震災孤児の問題、復興町造りの問題など、深層での傷は深くて、癒えたとはとても云えない状態のままのようです。

そして、この7年の間に、総理大臣は村山、橋本、小渕、森、小泉と代わり、挫折した橋本改革に続く小渕・森総理の国債大増発時代を挟んで、今また小泉改革総理を頂いている日本の景況は相変わらず芳しくなく、地価も株価も下落を続けデフレスパイラルはその着地点すら見えていない状況です。

7年は長かったのでしょうか、とても短かったのでしょうか。アフガン問題が勃発して以来、グローバル・スタンダードの是非を語る論調は影を潜めましたが、最近はまたアメリカ一極集中の是非が語られるようになりました。

時の移ろいは、多くの忘れてはならないことを忘却の彼方に押しやります。
「人は忘れるから人なのである」と喝破したのは誰であったか。でも忘れてはならないこと、変えてはならないこと。忘れなければならないこと、変えねばならないこと。あまりにも多くの出来事があり、あまりにも多くの真贋取り混ぜた情報が溢れているからこそ、そういった見極めが一人々々に求められているのだと考えます。

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