夏休み三題

【只管打座・・夏休み三題・・02.08.14】
 日本列島は旧盆休み一色である。読者の皆様も猛暑の中、帰省にレジャーに家
族サービスに大わらわのことだと拝察し、ご同情申し上げて残暑お見舞いと致し
ます。茫猿は夏休みを共にしてくれる子供達も既に巣立ちしており、閑散とした
街中の事務所でパソコンメンテなどにいそしむ休暇を過ごしています。
 旧盆休み期間とはいえ、以前とは異なり休みでない職場も多いのが昨今の状況
であり、一昨日も昨日も顧問先から業務照会が有りましたし、そんな世情に影響
されてか、今日も固評時点修正関連の鑑定評価員会合が設定されていて、半日は
その会議に出席していました。
 会議を終えて、まだ陽の高い内に帰宅し、娘の墓参りを済ませてこの原稿をタ
イプしています。酷暑の今夏とはいえ、立秋も過ぎてみれば、夕刻には雷雨もあ
り稲田を渡ってくる風も思いのほか涼しくなってきました。
 また、酷暑猛暑は関東以西のことであり、東北以北の日本列島は結構冷夏日照
不足の趣もあるようで、休暇も天候も一様ではない日本列島なのだと思っていま
す。
『長野知事選』
 明日、話題の長野知事選が告示されます。田中前知事に対抗して多くの候補者
が立つようであり、マスコミ報道によれば、各対抗馬は一様に「田中前知事の理
念は理解できるし共感もできるが、手法に問題有り」と、唱えているようです。
 怪しげな話だと感じます。田中康夫氏が池田元副知事に決然と挑んだ折りに、
彼(彼女)等は何をしていたのか、その後何をしたのかが問われなければならない
と思っています。
 田中氏が切り開いた道を市民派を標榜して辿っていながら、道を開き道半ばで
既成体制派(既得権益派といって分類してもいいのかもしれません)との争いから
失職した前知事に対抗する以上は、政策で争うのが本筋であるにも関わらず情念
的選挙戦を挑む姿勢は、つまるところ操り人形ではないのだろうかと疑えてなり
ません。
 「創業は易し、守成は難し」などと曰う候補者を見ると、語るに墜ちた人達よ
と思います。
『住基ネットワークその後』
 住基ネットワークとは、住民基本台帳ネットワークのことです。総務省の説明
によれば、氏名・性別・年齢・住所のみのデータを全国ネットで照会できるよう
にするだけだとのことですが、マスコミ報道によらなくともIT関連産業のウエ
ブサイトをみれば、電子自治体について多くの情報があり、住基ネットの将来像
が浮かんできます。医療経歴、年金資格その他多くの個人情報をICカード化した
りする方向が、便利なバラ色の未来像として語られています。
 しかし、便利さの裏に潜んでいる危うさについては何も語られていません。
危うさは、個人情報漏洩について多くが語られていますが、それもさることなが
ら一億余の個人情報が一カ所に集中すること自体が、もっと危ういと思います。
 情報の集中は確かに便利です。しかし、情報集中は一カ所の中枢における事故
が全てを失いかねない危険があるということも考えなければなりません。
当然バックアップは備えてあるのでしょうが、集中は有事の際の危険を大きくし
ます。また住基ネットの将来像を曖昧にしたままで、既成事実の積み重ねだけを
急ぐ霞ヶ関や永田町のやり方は、従来の日本的手法そのままであり「依らしむべ
し、知らしむべからず」としてきた日本奥の院の手法がより露骨になっただけと
見えますがいかがなものでしょう。
 これも有事体制整備につながる一歩でなければいいのですが。
また、もう一つの背景である、ITが新しい公共事業であるという側面にも注目
しなければならないでしょう。(省益とか新しい天下り先とかいう矮小な側面もあ
ります。)
『意志決定の速度』
 つい先日のことですが、業界の友人と話をしているなかで彼は私にこう云いま
した。「君の目標は正しいが、それを行う速度が速すぎる。多くの仲間が理解す
るには時間が必要だ。」
 彼が指摘することは正しいと思います。しかし、私は彼にこう云うのです。
「私の歩みが速いとしても、実は多くの人達の歩みが遅すぎるのではないか。速
い遅いは相対的なものだろう。自分達の理解や決定や実行の遅さを棚に上げて、
不平不満を並べているだけではないのか。」
 鑑定業界だけでなく、色々な場所で場面転換の速度がたいへん速くなっていま
す。速ければ速いほど好いという、単純なことにはならないでしょう。
しかし、速さに異議を申し立てる人々の多くは、自分の理解速度の遅さと理解の
ための努力不足を棚に上げるだけではなく、既得権益擁護のためのサボタージュ
の現れであることも多いと思います。さらにもっと重要なことが意志決定の遅さ
に隠されていると思います。
 それは、責任逃れと云うことです。多くの意志決定を先送りする姿勢は責任を
とろうとしない、失敗の責任を可能な限り逃れたいというよりも、失敗の可能性
があるあいだは責任ある意志決定を行わないということではないでしょうか。
 満場一致に至れば、皆が賛成したのだからと責任は曖昧になります。しかし51
%で決定すれば、決定責任の大半は1%を占めたチェアマンが負わなければなら
ないでしょう。その責任逃れをいつも画策していると云ったら言い過ぎでしょう
か。
ShinSan Mobile 『鄙からの発信』

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください