さくらの季節は華やぎの春であるが、「花に嵐」の季節であり、「花冷え」の時期であり、「三日見ぬまの桜哉」の気候でもある。卒業、定年退職、入学入社、出会いと別れの季節である。
三寒四温の余塵を残し、寒暖、晴雨の出入り激しい季節である。
決して華やかで陽気なだけの季節ではない。
この季節幾つかのさくら花を謳う歌が引用される。
(紀 友則)が、春の陽気に舞い散るさくらをうたえば、
「ひさかたの 光のどけき 春の日に しず心なく はなの散るらむ」
(在原 業平)は、花の盛衰とおのが心の揺らぎをうたう。
「世の中に 絶えてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」
と思えば、(西行法師)はこいねがい、願いをかなえてみまかった。
「ねがはくば 花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月のころ」
極めつけは、(小野小町)のこの一首であろう。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に 」
(本居宣長)のこの歌も、好き勝手に引用されすぎたと思う。
「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」
何よりも、多くの人が勘違いをしているのは、これらの歌にうたわれている花:さくらは、今あちらこちらで見かけるさくら:ソメイヨシノではないのである。ソメイヨシノ(染井吉野)という桜の一品種は、江戸末期に今の染井村で発見された「エドヒガン」と「オオシマザクラ」の一代雑種なのである。
果実は実らせないから接ぎ木で増やしている里桜である。
葉のない冬木に一斉に花を付け、一斉に散るから華やかで多くの人に好まれているが、病虫害に弱い樹である。寿命もそれほど長くなく25年〜40年が花盛りであり、60〜80年くらいを樹命とする。
紀友則や業平がうたった桜は山桜なのである。本居宣長は山桜とはっきりとうたっている。
文学作品で明らかにソメイヨシノを指したと思われるのは、「梶井基次郎」が【桜の樹の下には屍体が埋まっている】 と喝破したのが有名である。
桜の本字は櫻であり、その旁(つくり)は【嬰:えい】である。嬰とは生れたばかりの子供。「みどりご:嬰児」のことである。屍と嬰、会者定離、生者必滅、栄枯盛衰・・・・・、云い得て妙ではなかろうか。
2005/04/13:茫猿陋屋に咲いた山桜である。花びらと若葉が薄い桜色と浅緑のグラヂュエーションを作っていて、とても好ましいのです。
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