なぜ殺しにまで至る

 つい先日、4/20の記事で、「男はつらいよ」第一作から、寅さんと光本幸子演じる御前様のお嬢さんが歌う次のような歌詞を紹介したのである。
  『殺したいほど 惚れてはいたが  指も触れずに 別れたぜ
      浪花節だと 笑っておくれ    野暮な情けに生きるより
         俺は仁義に生きてゆく』  (喧嘩辰から)
 今朝のニュースで岐阜県中津川市内の少年が起こした少女殺人事件を報道している。交際のもつれが原因らしいが、またまた少年凶悪事件である。 寅さんと御前様のお嬢さんがハミングする世界とはまったく逆と云うか、異次元の男と女の世界である。


 力が強い強者である男が、力の弱い女に対してどのような理由があろうと暴力をふるってはいけないのである。殺してはお仕舞いなのである。少年少女の関わるこのような凶悪というか、理解できない事件がなぜ頻発するのであろうか。様々な意見を述べる識者はいるが、茫猿は理解できない。できないながらも、こう考えるのである。
 携帯メール、パソコンゲーム、コンビニにあふれるいかがわしいコミック雑誌、デジタル情報過多などの多くの原因の複合する結果ではなかろうか。
核家族化や少子化、あるいは格差社会も影響を与えているのであろう。
弱者をいたわる心、思いやる心が失われているのではなかろうか。といって社会が悪いなどと単純化したり逃げに入ったりはしたくないし、してはいけない。
 『効率を追うことは、強きに従い弱きをくじくことにつながるのである。
  弱きを助け強きをくじくことは、一般に効率に背くことなのである。
  見えないものを大切にし、非効率をいとわないことが大事なのである。
 (4/19掲載の「止揚」の巻頭言を読み返して頂きたいのである。)』
 インターネットに溢れている刺激的なアダルト情報は、若者の感性を歪んだ方向に導いてゆくであろう。我々年長者にとっても、今や知らないではすまされない状況にあると思う。とてもとてもヒドイ状況を正しく理解し承知しておく必要があると思う。知らなかったでは済まされない時代に、今や棲んでいるのである。
 出会い系サイトへの誘惑、アダルト情報へのアクセス、匿名掲示板に溢れる罵詈雑言、これらは汚らしいし見たくはないものである。でも臭いものに蓋をするだけでいいのであろうか、やはりこういった類のものを真正面から正しく認識することで、次の一手が見えてくると思うのである。
 甘いと云われようと、時代錯誤と云われようと、寅さんの世界を若い人たちに理解してもらいたいと思う。その為に我々年長者の努力が必要なのだと考える。「寅さん」や「野菊の墓」や「二十四の瞳」の小中学校巡回上映会を開催してもいいのでなかろうか。そういった叙情性が高い小説や脚本を学校教材に取り上げるべきではなかろうか。
 話はとぶが、教育基本法改正が国会審議日程になっている。議論の中心は愛國心をどのように教えるかというのところにある。愛國心が大上段に最初から登場するのはいかがかと思うのである。家族を愛し、仲間を愛し、ふる里を愛し、山河を愛する心があれば、それは国を愛する心につながるのであり、国を愛する心から教えるのは本末転倒であると思う。できれば誤解され易い愛國心はとばして、地球を愛する心に至ってほしいものと考える。
 もう一つは、ゆとり教育とか知育水準低下とか議論をする前に、前倒しにツンノメッテゆく教育よりも情感を大事にする教育を考えてゆくべきであろう。
・・・・・・・・・・・ 蛇足です ・・・・・・・・・・・・
 蛇足になるが、茫猿は意味もなく2チャンネルを批判しているのではない。
サイト主宰者はTOPページに「2ちゃんねるのご利用は利用者各位のご判断にお任せしています。」と断っている。でもTOPページから出会い系やアダルト系にも誘導されるのである。
茫猿はこういったサイトは双刃の剣であると思う。
とても有効なサイトであるから人気が高い。
 でも基礎知識や人生経験の乏しい小中学生がこのサイトを利用するには、大人の助言や支援が必要なのだと思うのである。そうなのです、子供だけではない、この頃巷に多い「大人(オトナ)」に成りきれていない成人にも、オトナの智慧と助言が必要なのです。
 お口直しというか、お目直しに陽春の花二題、
先ずは、山吹である。
七重八重 花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき。


こちらは、可憐な白い花である。その名もゆかし小手毬である。
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