共謀罪と憲法

 五月晴れのさわやかな連休にはそぐわないテーマである。ではあるが、5月3日の憲法記念日を迎えて、避けて通るわけにはゆかないテーマなのである。
 共謀罪については民主党のサイトより引用する。
『共謀罪話し合いだけで既遂の犯罪に——例えば、万引きの相談をして、次の日実行をとりやめても、有罪になるというのが共謀罪の考え方です。 米国では、実体犯罪で無罪判決が出ても再度共謀罪で検挙するという手法で、イラク戦争への抗議行動などの弾圧に使われてきました。
組織的犯罪集団と言えば、普通は暴力団やテロ組織のこと。しかし政府案は、株式会社や市民団体、労働組合も対象にしています。 政府案では対象犯罪は619。組織的に行われる凶悪犯罪とは言えない文書偽造のような罪まで対象になります。
 民主党は対象を条約で定める本来の組織的犯罪に限定すべきだと主張しています。民主党修正案では、対象犯罪は306に減ります。 』
 上記の主張は、昨年の総選挙において民主党が行った郵政民営化総論賛成各論反対と相似の主張である。すなわち「郵政民営化は賛成だが、自民党案反対」という訳のわからない主張と相似なのである。共謀罪について対象犯罪を619から306に縮めたから良いということにはならないのである。こういうのを五十歩百歩というのである。
 共謀罪について日弁連は反対している。法曹界の一翼を担う日弁連が反対する重みを今一度考えてみたいものである。


 次いで、憲法改正問題に対する民主党の談話を見ておきたい。
『私たちは、これらいずれの議論とも一線を画しながら、真に立憲主義を機能させ国民主権を深化させるという観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めるという姿勢で、民主党「憲法提言」を昨年秋にまとめました。現在、この提言をもとに、全国各地での対話集会をスタートさせています。主権者である国民の皆さんとの自由闊達な憲法論議を経て、私たちの憲法が日本や世界の人々の平和や幸福の礎石として輝きを取り戻せるよう、私たちも積極的な役割を果たしたいと思います。 』
 憲法を考えるときに最も大事なことは「憲法とは何か」ということである。私たちは憲法を法の中の法とか最上位法ととらえがちである。
 じつは憲法とは統治権力機構の権限を定める法である。日本国憲法前文は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」と規定している。
 時の為政者の手足をしばり、勝手気ままを許さないところに、憲法の意味があり存在理由がある。為政者が都合が悪いとか使いにくいと考える憲法であれば、すなわち憲法が正しく機能しており、その存在意義があるということである。
 つまり、「憲法とは権力の限界を定める」ところに存在意義がある訳で、権力は肥大化し暴走し腐敗するという歴史の教訓を背景にすることに最も大きな意味がある。憲法は為政者の理不尽な支配から国民・市民が自らを守るものなのであり、為政者が国民市民に一方的に義務を課すものではないのである。
「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」この条文をどのように解するかは様々な議論があるようだが、時の最大多数党である与党が憲法改正を声高に言うときは、眉に唾して刮目しなければならないのである。
 そうでなくとも、国旗・国歌を法制化した次は教育基本法で愛国心を法制化しようとする昨今の時流は危ういものが多いのである。最近まで、君が代も日の丸も慣習法のなかにあった。ある種の曖昧さはあるものの穏やかであり、日の丸・君が代に辛い体験を思い出す人々に配慮する姿勢があった。靖国問題も愛国心問題も同じことである。國の内外に賛否両論があり、一方に偏したり決めがたい背景を有する問題について、黒白をつけようと云うのが昨今の風潮であるが
危ういのである。危ういだけでなく一方に偏ってゆく風潮は反対論を問答無用的に切り捨てる風潮にもつながる危険を感じるのである。
 今は、憲法九条を改正し軍隊保有を認め集団的自衛権を認め海外派兵を認めることが、何につながるのかを真剣に考えるときなのである。そしてこの問題こそは、銃を持つことがあり得ない(少なくとも最後になるであろう)30代40代以上の年代が決められることではないのである。
 子が孫が銃を持たされることを、どのように考えるのかという視点から今一度見直すべきであろう。
憲法は穏やかに語るべきと云った先人がいた。声高に語るものではなく、日常を踏まえて自らの目線で、自らの子や孫の世代のために如何にあるべきかという視点が欠かせないと思うのである。
 そして憲法第12条の規定はとても重いと考えるのである。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
 つまり、国民の自由と権利は憲法が保証するものではあるが、不断の努力無きときには保証の限りではないのである。この憲法12条の云わんとするところはとても重いのである。

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