東京島・桐野夏生

新聞各紙や週刊誌などで好意的な書評が多いから、桐野夏生氏の新刊「東京島」を購入して読んでみた。


無人島(どうやら、沖縄と台湾とフィリッピンの中間に位置する設定らしい)に漂着した31人の男と1人の女が織りなす現代版漂流記なのである。大方の想像どおり、一人の女(四十過ぎの小太りな女)を巡って様々な争いや駆け引きが起きるのだが、性描写を期待しても、そんなものはみごとにはぐらかされる。

唯一の女性をはじめ、主な登場人物のモノローグで物語は展開してゆくのであるが、漂着者の旧歴や島での在り様が戯画的に描かれてゆく、これも大方の想像どおりインテリほど状況適応能力が弱く、サバイバル競争に負けてゆくのである。幾つかの争いや出来事が寓話的に語られるのだが、その背景に透けて見える下敷きとなっている現実があれだろうか、これだろうかと思わせられるのである。
一気に読み切ることはできたが、それほどに後味の良い小説でもないし、「新潮」に連載されたというわりには文学性も感じなかった。どちらかと云えば、近頃はやりのドタバタTV劇のような印象を受けたのである。
つまり、設定としてはロビンソン・クルーソー以来のものであり、特に目新しくはないものであるから、心理描写とかサバイバルに現代的味付けが欲しいのであるが、現代日本の若者の「オタク性」というスパイスをたっぷりと振り掛けた「サバイバル劇画」という趣である。
桐野夏生氏の小説は「魂萌え」を、とても面白く読んだものだから、今度もそのような切れ味を期待したが、1400円で二晩楽しんだから良しとする程度のもので、作者の実験的意図が空回りするといった印象の出来具合であり、鄙の堂守にとってはやや期待はずれだった。

 因みに、帯の惹句はこうである。
「食欲と性欲と感情を剥き出しに、生にすがりつく人間達の極限状態を容赦なく描き、読者の手を止めさせない傑作長編誕生」

『新潮社:東京島』(立ち読みコーナーと、佐藤優と著者の対談あり、)

今日の蓋は、郡上市旧大和町地内のものである。旧大和町は「古今伝授の里」であり、蓋にもそのような表示がされている。
蓋のある郡上大和まで東海北陸自動車道を利用して行ったのであるが、東北道(地元ではこう略称する)は奥美濃山間地を走るからトンネルと橋梁ばかりである。岩手・宮城内陸地震で山が崩落し、橋梁が崩れ落ちる映像を見たばかりであるから、この瞬間にも東北道に並行する八幡断層が活動したら一巻の終わりだなと思いながら、それでも断層地震が起きる確率と走行中に遭遇する確率を天秤にかければ、ほとんど杞憂だろうなと我と我が身を慰めながら走るのである。

改めて、岐阜県の断層地図を眺めてみれば県内の殆どが活断層で埋め尽くされている。これは日本列島の成り立ちを思えば考えるまでもないことである。日本列島がユーラシアプレートと太平洋プレートとフィリッピンプレートのせめぎ合うところに位置し、国内の全てが褶曲山脈と火山帯から成り立っているのであるから、数百年から数千年の単位でみればM7クラスの断層地震や火山爆発が無かったところがないのである。地球温暖化についても云えることなのだが、現在の人類の繁栄などというものは、数千年から一万年に及ぶ地球の長い歴史からすれば、とても短く稀にみる平穏な状況に支えられているのである。ひとたび火山活動が盛んになれば、氷河時代が到来すれば、太陽の黒点活動が活発になれば、どの一つが到来しても、今の人類の繁栄など吹っ飛んでしまうであろう。数キロ大の流星の到来で恐竜が滅び去ったように、脆いとてもモロイ均衡の上に私たちはいるのだということを、時々は考えてみる必要があるのだと思う。

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