2008年8月6日

 毎年々々、八月になると忘れてはならない数字が、6と9と15である。
・8月6日は、広島の原爆忌
・8月9日は、長崎の原爆忌
・8月15日は敗戦の日(終戦の日とも云う。)


 今年も8/6が巡ってきた。秋葉市長は「核兵器廃絶が多数派の意志であり、核兵器は廃絶されることにだけ意味がある。」と平和宣言を読み上げた。また高齢化した被爆者への温かい政府援護策を求めた。
 これに対して福田首相はあいさつで、「非核三原則の堅持を云い、被爆者援護に取り組む。」と述べたものの、具体策の表明は見られなかった。
 広島と云い、長崎と云い、沖縄と云い、政府や東京にとっては遠い西国のことなのではと云いたくなるような状況である。靖国遊就館や知覧特攻記念館の展示と、ひめゆり平和祈念資料館や広島・長崎の原爆資料館の展示との落差を思わされるのである。沖縄慰霊の日は組織的戦闘の終了した6月23日、沖縄戦公式終結の日は9月7日である。
 油照りの猛暑のなかで、一杯の水を求めてさまよった人々が、63年前にいたことを忘れてはならないと思うのである。そして、それらの日々はその日にさかのぼる何年か前から、日本が近隣諸国に対して行った多くの行為の延長線上に有るのだと云うことも忘れてはならないのである。
 8/3に堂守の母校大垣北高校の同窓会総会が開かれた。同窓会幹事を務める友人の依頼でチケットを買って総会に出席したのであるが、その総会に来賓として出席されていた北高校長は御挨拶のなかで、パンプキン爆弾にふれられた。
 パンプキン爆弾とは模擬原爆(1万ポンド爆弾)のことであり、日本に対する高高度(高度3万フィート「約9千メートル」)からの人類初の原爆投下を成功させるための投下訓練と、爆発後の放射線から逃げるための急旋回(急転、退避)の訓練を目的として、日本各地に投下された爆弾の通称である。その模擬原爆が岐阜県大垣市にも投下されたというのである。大垣に投下されたのはその年の7月24日の深夜、大垣市高砂町:岐阜県農業会安八支部前水門川左岸という。死者20名、負傷者100名と記録されているという。
 戦前とはいえ、1944年生まれの茫猿にとって戦争体験は何もない。全て二次、三次の追体験である。戦争を知らない世代にとっては、どのような追体験をするかがとても大事なことだと思わされる。

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