聞くともなしに聞いていたカーラジオから、
とても心にしみ通る美しい唄が流れてきた。
年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても
どうかそのまままの私のことを 理解して欲しい
(中略)
哀しいことではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと
励ましのまなざしを 向けて欲しい
(中略)
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい(以下略)
『手紙・親愛なる子供たちへ』 原作詩:不詳 訳詞:角 智織 作曲:樋口了一
この詩を歌っているシンガーソングライター樋口了一氏が「樋口了一・ポストマンライブ」と称するミニライブ企画(年内実施:公募による)を行っているそうである。
まだ要介護状態にはなく、元気な老後を過ごしている老親と同居する鄙の堂守にとっても、歌詞の一部は既に自らのことである。 脳梗塞で倒れ記憶を失い要介護状態になって既に五年が経つ二つ上の従兄を思えば、どちらも自分のことなのである。 九十を越えた認知症の老親を介護している半周り違いの伯父夫婦がいるのだが、今月連休中に彼の妻がクモ膜下出血と脳梗塞で倒れ、今も意識がない状態で病院にいる。 高齢の義母と意識不明の妻を抱えた伯父の気持ちを考えると涙が出てくる。
『手紙・親愛なる子供たちへ』 樋口了一Official Site
『手紙・親愛なる子供たちへ』 歌詞全文
『手紙・親愛なる子供たちへ』 You Tube
“子供叱るな お前の来た道だろうに”
“年寄り笑うな お前の行く道だろうに”
誰が作った詞かも知らないが、よく耳にする詞である。
いつかの再掲だけれど、こんな詩もある。
「横井也有 鶉衣 より」
くどくなる、気短になる、ぐちになる 思いつくこと みな古くなる
聞きたがる、死にともながる、淋しがる 出しゃばりたがる
世話焼きたがる 又しても同じ話に孫ほめる
達者自慢に人をあなどる
「天野 忠 老醜より」
鏡を見るたびにギョッとするわね。
つくづく時間の力は恐ろしい。 このシミ、この皺・・・・・
でもねえ。
そのシミ、その皺一つ一つだって
親切に時間が選んでくれたスタンプだよ。
その顔は
謂わば丁寧な集印帖さ
古いほど値が上がることもある
いつの頃かは忘れたがロータリークラブ時代に、二回りも上の先輩から、老人が達者で暮らす秘訣を伺ったことがある。 彼曰く、老境を自覚したら、”三カク”を心がけるのだと言う。
即ち 《 義理を欠く 見栄を欠く 恥を掻く 》のだそうである。 つまらない世事にこだわらない。 素直に御免なさいとという。 つまらない見栄を張ったり競争したりしない、柳に風と受け流す。 年寄りでモタモタして御免なさいねと、恥を恥とも思わない。 ゴメンナサイネ、スミマセンネとさらりと言う。 誰かが奢ってくれたら、「アリガトウネ」と素直にいただく。
それが達者な年寄りの秘訣だという。 でもよくよく考えたら、今自分が「義理を欠いている、 見栄を捨てている、 恥を掻いている。」という意識があればこその達者なのだろうと思う。 この頃は堂守も素直に「三カク」を実行できるようになった。 業界の後輩が奢ってくれるという時には素直に受けるようにしている。 《アマリ、奢ってくれることがナイのが、少し残念だけれど》
【いつもの蛇足である。】
5/19 某市民病院にて、MRIやFDG-PET等検査を受ける母に付き添って。
母の椅子 押して長き 廊下あゆむ
いす停めて トイレ待つ我は 遠き見る
車いす たたみ方知らず 教えこう
朝十時より午後四時まで、母のお喋りにつきあい、「車いすの方です。」と申し継ぐ病院のスタッフの心遣いに感謝しながら、”手紙”の歌詞を思い出すともなく思い出していました。 来週には一連の検査結果を伺う予定ですが、自らのありようも含めて老いてゆくと云うことを、さりげなく受けとめてゆく、そう、さりげなく、そして平らかに受けとめてゆく、そんな人生の季節に自らが居るのだと思っています。
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