村祭り若衆組

茫猿が生まれそして今も住む鄙の邑は秋祭りの季節である。 昔は16歳から22歳までの若者(各戸の長男)が若衆組として村祭り全てを担っていたが、若者が少なくなったことや、16歳から22歳までの若者が進学や部活で忙しくなったことから、各戸持ち回りで祭り若衆当番を務めるようになって、もう数十年になる。この若衆組の頭を以前は”兄若い衆”と呼んだものであるが、今は祭り当番組・祭典係長という色気のない名前に変わってしまっている。
実は茫猿が遊学と都会でのしばらくの就職生活を終えて村に戻った年が、祭りをささえていた若い衆組から村廻りへの切り替え時だった。 その時茫猿を除く組の十数人の大半は茫猿の先輩であり、同時に兄若い衆の経験者だった。 茫猿はといえば、一年間の若い衆(ほとんど見習い&追い回し)経験だけで、その後は受験勉強や都会への進学で村を離れていたから、全くの未経験者に等しく、若い衆としての基本素養である祭り囃子の笛も太鼓も何もできなかったのである。


その後数十年を経て、四年に一度巡ってくる祭り当番も十回以上経験したけれど、兄若い衆は一度務めたものの祭囃子は未だにものになっていない。 その祭り当番が今年も廻ってきて、昨年晩秋の稔った稲穂を氏神に供える新穀感謝祭(新嘗祭)から始まった一連の行事も今日の祈願祭と十月の本祭りを残すだけとなった。今日は朝から祈願祭を勤め、それから三基の提灯屋形のうち一基を組み立てたのである。この屋形組み立てを「山興し」といい、祭りが終わって屋形を取り片づけるのを「山降ろし」という。 その後に若衆組の慰労会があるが、これは「引き払い」と称する。
四十数年前は最年少者であった茫猿も今や最年長者であり、ほぼ全員が親と代替わりしている。 山興しや幟(のぼり、村ではのんぼりと言う)立ても、廻りで見ているだけでよくて、高上がりや力仕事は全て後輩たちが行ってくれる。
まずは早朝から始まった祈願祭である。この祭りは本殿の祭神・白髭さんよりも脇の田貝神社の祭りである。田貝とはタニシのことであり、田の神・田貝を祭って豊作を祈願するのである。 社殿に祭礼提灯を飾り、山のもの、海のもの、田畑のものをお供えして祈願するのである。社殿前に三宝に載せて飾った供物の左端には生きた鯉も見える。
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豊年を祈願する祝詞は、近在の神官さんにお願いして上げて頂く。
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次いで祭礼提灯を飾る屋形の組み上げである。折良くというべきか今年は屋形を一基新調した年であり、例年とは組み上げ方法が違うから手順が判らないし、新調だから粗相の無いようにと、フォークリフトまで持ち出して皆慎重に仕事を進めている。
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例年ならば一時間も掛からないところを二時間もかけて興した、木の香も芳しく市松模様の屋根障子も美しい新調の屋形である。
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全ての準備を終えて、境内の隅をふと見ると、曼珠沙華が咲いていた。 うるさいほどだった蝉時雨も今は聞こえず、名は知らない渡り鳥らしき鳴き声がしきりと聞こえてくる境内である。
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幟(のんぼり)立つ  空澄みゆきて  稔りまつ  (茫猿)
『追記 090927・11:55』
今ほど、本日の田貝さん祭りと、その後のミニ山降ろしが終わりました。
フラッシュを用意していない撮影ですから、一部はお見苦しい写真ですが、そこはそれ鄙の村祭りと云うことで平にご容赦願います。それにもまして御神酒も入っていますので悪しからず。 まずは新調の屋形の提灯に蝋燭の灯が入りました。
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最初の奉納は子若連です。
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続いて、組若い衆の太鼓です。 演奏曲は六曲あり、豊後下がり、止車、岡崎、ヒャーヒャリコ、おかめ、トッピイヒャ、そして打ち囃子です。曲名や伝来の由来など今や誰も知りません。
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真打ちは紋服着用の兄若い衆による打ち囃子です。今日は兄若い衆以外は白カッター・黒のズボン着用ですが、本祭りでは全員が紋服を着る慣わしです。
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