一石は投じ得たか?

 『鄙からの発信』は1999年5月15日に「一石を投じることはできたか」と題する記事を掲載している。 その記事中に、私なりの立場から
『(1)コンピューターネットワークを基軸にした会員間の有機的ネットワークの構築
(2)土地センサス等、土地情報基盤の整備
(3)地図情報システムや数値比準表の基盤整備
 等の実現に向けて、委員会活動等を通じて微力を傾けて参ります。』と記している。


 その後、十年余の歳月が過ぎた今振り返ってみれば、 (1)ネットワークの構築は、REA-NETとして結実したし、(2)土地情報基盤の整備はいわゆる新スキーム:悉皆調査として数年前から実施されている。 そして今回(3)地図情報システム構築はNSDI-PT(REA-MAP)として結実しようとしている。
 もとより、それらの成果が私の微力の由縁などと申し上げるつもりは毛頭ない。 それでもとても幸運なことに、それら総てに当初から関わり合うことができたし、REA-NETやNSDI-PTは茫猿の提唱から始まっているし、微力とはいえ関わってきたことである。 云うまでもないことであるが、それらがここに至るまでには多くの、それこそ多くの方々の理解と支援と指導があってのことである。 いまさらに手柄話などを書くつもりはない。 十年余という月日の重みや多くの人々の理解というものについて、ひとしおの感慨を禁じ得ないだけである。 
 もちろん、REA-MAPはまだ終わっていない。 β版もASPビルトインもあと数ヵ月を要する事柄であるから、百里の道も九十九里をもって半ばとするとか、九仞の功を一簣に欠くという例えもあることから、まだまだ終わったとはとても言えない。 でも、REA-MAPは専門技術者の手に渡り、茫猿などが関わること少なくなれば、感慨にひたることも許されるだろう。
 この期に及んで確かな次の一手が思い浮かばないのである。 次はREA-MAPを手段の一つとして社会へ向けての情報発信という段階に進むのである。 数年前に絵空事と嘲笑されたことへいよいよ向かうこととなる。 それなのに、効果的な次の差し手が浮かばない。それが己の限界なのかと思い悩むのである。
 先号記事に紹介した遙洋子氏の言葉を借りて云えば、『なまじっかの成功を体験した狭い業界の悲しさを思うのである。 小さな官公需中心の業界ならではの密着型の慣習と因習、慣れ合いと付き合いと情け、今までは小さな業界ならではの味だったそれらが、健全な市場をよどませ、そこにあぶれた人たちと、毎年増える新人たちとの仕事の奪い合いを生む。それを尻目に、なんとしてでもその既得権を守りたい者同士は繋がりを強固にし、また、それを可能にするのがまさにギルド的業界と言えるのであろう。』
 鑑定評価制度は、その歴史の発端から地価公示制度や損失補償基準要綱に支えられる公共事業用地評価をはじめとする官公需という業務を与えられてきた。 その後も高度成長や地価バブルという時々の潮流のなかで必要ともされ、鑑定需要も用意されることに慣らされ、資格者集団という枠組みに安住してきた鑑定業界である。 豊富な経験と高度な知識を身にまとう資格者集団と云えば聞こえがよいが、その実、職人的な経験がものをいう世界に慣れ親しんできたことは、否定できないのではなかろうか。 《茫猿はこれを「鑑定士の不幸」と呼んでいる。》
 今や慢性的な地価下落という状況のなかで、社会的公平を重視する自由主義・市民社会における地価の適正な在り処さえ見つけられずに、ひたすら目の前の評価に使える取引事例を追い求めることに汲々としていると云えば、言い過ぎだろうか。 十年前に悉皆調査、ネットワーク、地理情報というものを唱えた理由は、鑑定評価というものが職人芸の世界に止まることなく、科学的裏打ちを得ようと考えたからにある。 同時にその科学的分析の成果を世に問うことにより、自らの論理性を高めるだけでなく、不動産鑑定評価を社会における真に有益な存在たらしめたいと考えたことに始まる。
 十年前には想像も出来なかった高機能パソコンを鑑定士は手にしている。 年間百万件とも二百万件ともいわれる大量の取引データベースが身近にあり、安全で機能性の高いネットワークと地理情報システムも手に入れようとしている鑑定業界が、その望外ともいえる宝の山の上に眠り続けることは許されないと考えるのである。
 REA-NETやREA-MAPは鑑定業界固有のツールと言えなくもない。 しかし悉皆調査はその当初から社会的存在であり、その蓄積としてのデータベースは社会的資産と云わなければならないと考える。 その社会的資産を社会に有益な情報として還元してゆこうとする姿勢こそが、今の鑑定業界に求められるものであり、そのことが鑑定評価のすそ野を広く大きく育てると考えるし、同時に鑑定評価の精度という頂きをさらなる高みへと導いてゆくと考えるのである。
 言うは易く行うは難しと重々承知している。 でも始めなければ何も生じないであろうし、毎年の試行錯誤の積み重ねが、その解析ツールを精緻化してゆくであろうし、解析結果と鑑定評価の現場とのあいだの往復が両者をともに高めてゆくと考えている。 それらの端緒として、とりあえずは「NSDI-PT Next Stage (2009年12月11日)」と考えていたのである。
 2010年度のNSDI-PTは外部有識者を含めたプロジェクトチームに再編成され、悉皆調査結果の社会還元モデルを構築することに着手すべきであろうと考える。 その研究テーマは悉皆調査結果を基礎とする地価推移の傾向分析並びに予測モデル等の構築を行うことにあり、その成果をWebサイトを通じて世の中に問うべきであろうと考えるのである。
 このような試みは『鄙からの発信』のみが提唱するものではなく、幾つかの試論が公表されている。 「進化する取引価格情報 (2009年10月24日)」もその一つであろうし(主要都市土地取引価格の基本統計量)、「進化する地理空間情報提供事業 (2009年7月12日)」もある。
 不動産鑑定評価について先鋭的な議論を展開している「Evaluation誌No.36」にも注目される論考が掲載されている。 (10/02/16時点ではバックナンバーとして未掲載)
 それは堀田勝己氏が寄稿する「土地取引事例から地価の趨勢変化を探る」と題する論考である。 詳細はEvaluation誌No.36をお読みいただきたいが、堀田氏は、「鑑定評価が科学たりうるためには、「相場観」などというムードに惑わされることなく、不動産取引という現象を科学的プロセスによって分析することが必要である。」と述べる。
 氏は多数の取引事例を基礎とするヘドニックアプローチについて、実際データを基礎に説明した後に、「あらゆる現象は確率的に発現するもので、それが確率分布のどこに位置するかは、ある程度の標本数で母集団を推定したあとでなければ、わからない。」と説く。
 また、「行うべきは、過去における価格データとその時々のマクロ経済指標などを含む価格形成要因との関連性を科学的に分析し、どのような予兆があれば不動産価格はどう動くのかといった傾向のいとぐちを見つけることである。」と云う。
 茫猿はこの週末に《満緑々壽》を迎える。 顧みて40年余の鑑定士人生に思い残すことはない。 時に「値踏み屋」と自嘲したことも、「田圃の畦道歩き」と嘯いたこともあるが、思いもよらずに踏み込んだ業界にしては、幸せな人生を過ごしてきたものだと思える。 1999年には”瓢箪から駒”的に協会会長選挙に出馬したが、その時も望外のまさに望外の支援や支持をいただいたのである。
 そして、この選挙ツールとして始めた『鄙からの発信』が、インターネットの進化と共にスタイルを変えながら、延々と今日まで続いてきたのであるし、その時の提言(今風にいえばマニュフェスト)を追い求めて今日に至ったと言えるのである。 これを幸せと云わずして何が幸せと云えるのかと思っている。 カテゴリ”茫猿 ‘s Who “にも書いているとおり、茫猿は一言居士であり、小言幸兵衛である。 横丁の辛口隠居を自認してもいる。
 多少は世慣れて丸くなったとも見えようが、実は加齢による反応の鈍さがもたらすものと思っている。 NSDI-PT・専門委員の任期はまだ一年余を残しているし、次2010年度の予算要求もつい先頃積算したばかりである。 来月からは事務所も文字どおりの鄙に移転し、名実共に『鄙からの発信』を続けてゆこうと考えている。 六十を過ぎてからは「夕映えの章」という備忘録をパソコンのなかに記しているのだが、まさに夕映えの章に踏み込んでゆく茫猿に、どのような残照が待っているのかと思えば、これまた楽しみなことである。

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