カタルシス

 祖母の葬儀などを終えて島へ戻る次男が、久しぶりに訪れたいというのを送りがてら止揚学園を訪問してきました。まだ早いとは思いましたが、頂きました香典の一部をお届けするに早すぎるということはないと考え、寄付も持参してのことです。
 亡き母が掌中の珠のごとく慈しんでいたものの、夭折した初孫亜希子に思いが連なる止揚学園への寄付であれば、母の思いをお届けすることにも為ると、父もとても佳いことと賛成してくれました。何よりも、今や白骨に姿を変え幽冥境を異にしてしまい、もうどうしようもない死者よりも今生きている生者が大事と父は言います。


 学園では、私や寄附などよりも久方ぶりの訪問になる次男が「Tくん、Tさん」と大もてでした。若い女性のスタッフも多い学園ですから、次から次へと応接室にお顔を見せて頂き、次男の人気者ぶりを再認識しました。あのモテ男が何故いまだ独身なのか信じられない気持ちです。
 福井達雨先生は講演旅行で不在でしたが、光子先生や面条先生は在園であり、一連の経緯をお話しして、在園生が高年齢化し学園では今や日常でもある、生と病と老と死の様々な思いを語り合いました。解り合える共通の思いを語り合うことにより、私の悲しみもずいぶんと癒されたように思います。
 学園を訪ねて癒されたい、学園の皆様であれば判っていただける、聞いていただけるという茫猿の心底を否定しません。いいえそんな思いが先に立つ訪問でした。学園は常に変わらず暖かく迎えていただき、思いの丈をさらけ出してしまう滞在であり、カタルシスともいえるひとときでした。
 学園にいとまを告げ島へ戻る次男とは能登川駅前で別れて、途中仮眠をとりながら雨の夜の名神高速道を自宅に戻りましたら、父は用意しておいた夕食も摂らずに帰りを待っていてくれました。母在世中にはついぞ無かったことです。学園での様々を語り合いながら、老父と前期高齢者茫猿の二人だけの遅い夕食を摂りました。
 学園とのお付き合いの経緯、学園の姿、次男のモテよう、などなど語りあいながらの静かな夕べは、老いた夫と老い始めた息子にお袋が遺してくれた安らぎなのであろうと思ったことです。 どなたにとっても同じようなことでしょうが、臨終から通夜、葬儀と続く嵐のような三日間が過ぎ去れば静かな日常が戻ってきて、母の遺したものを一つ一つ整理していると、日常使っていた品や断片的メモなどに彼女の思いが偲ばれます。今にして思えばなどと幾つかのことがらが一つずつつながってゆきます。 
 止揚学園にはトーテムポールのような新しい門柱が立っていました。

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