原発問題から逃げた卑怯

 過日、業界の後輩と話す機会があった。話題は3.11大震災と鑑定評価、なかでも福島原発と鑑定評価についてである。 なかで、『鄙からの発信』が原発問題と正面から向き合ってこなかった怠慢さを指摘された。 以前は事務所の顧客に関係者が少なからずいたことから、原発問題については及び腰であったのは事実である。


 原発関係の記事が関係者の目に留まって事務所の業績に影響することを怖れていたのは事実であるし、子育て仕送り中の茫猿が事務所売上を優先したことは否めないと述懐したら、「卑怯な態度です。」と糾弾された。 ちなみに、原発について彼の意見は「日本経済全体からすれば、いかに上手く付き合ってゆくかが問われている。」という。 そこで過去記事から原発に言及したものを検索してみた。 いわば茫猿のアリバイ検証である。
◎巨大技術&巨大システム (1999年10月03日)
 技術の巨大化とその必然として派生するシステムの巨大化は思わぬ陥穽をもたらすものである。今回の東海村JCOの臨界事故は、それがまさに端的に現れたものと云ってよいのではなかろうか。新幹線、ジャンボ旅客機、原発等々皆同じ陥穽を内在させていると云えよう。各々の巨大技術とシステムはセイフテイネットをもって安全性を担保している。しかし、安全ネットのほころびは、いつも思わぬ処から出現するのである。十年余前の日航ジャンボの隔壁金属疲労も最近の新幹線トンネルのコンクリート破損も、今回の核燃料処理工程の臨界事故も、その時点では思わぬ処から発生している。
 巨大技術やシステムは、巨大且つ精密なるが故に極々一部の破損や欠陥が重大な結果をもたらし易いということも承知しておかねばならない。新幹線トンネルの破損も大型旅客機が携帯電話に弱いこともおなじであろう。最も怖いのは巨大技術やシステムに関わる安全神話である。過去に事故が無かったということは、確率的にはこれから起きうるという風に捉えるべきであり、だからこそ神話なのだと考えるべきである。さらに人間というものが持っていいる本質の一つに学習による慣れと怠慢がある。無事故や安全が継続すればするほど技術やシステムに対する依存性が高まり、それが慣れと怠慢に結びついてゆく。
◎潮流の速さ (2000年02月22日)
 三重県の北川知事が議会で「芦浜原発計画」の白紙還元を表明したことである。芦浜原発は三重県の最南部に位置する紀勢町と南勢町にまたがる地域に中部電力が原発建設を計画するものであり、計画発表以来36年を経過するものの誘致派と反対派が対立して、着工に至らない原発計画である。
 先日、鄙からの発信でふれた愛知万博も、その行方が怪しくなってきたところへ、今度は原発計画の白紙還元である。政府の原発推進圧力もあったろうに、原発立地や建設に伴う受益者からの圧力もあったろうに、既存のヒエラルキーの意向に反して、知事が白紙還元を決断するには大きな勇気を必要としたろうと推察できる。
「バケツでウラン事件」以来、逆風が激しくなっている原発立地ではあるが、知事の判断はその影響が大きいだけに苦悩の決断であったろうと思います。三重県の公共事業や公務執行に対して、事業評価制度を取り入れて独自の行政改革を果敢に進めている知事ならではの決断でもあると云えようか。
◎何か違う (2005年03月11日)
[ヨウ素剤を公立学校配備へ 伊方原発周辺に愛媛県]
 愛媛県は10日、四国電力伊方原発の地元の同県伊方町と隣接する保内、瀬戸両町にあるすべての公立小中高校計17校に、原発事故の際に放射性ヨウ素による被ばく低減のため服用するヨウ素剤を、夏にも配備する方針を明らかにした。
 文部科学省は「公立学校への配備は、あまり聞いたことがない」としている。
 県危機管理室や保健福祉課によると、これまで伊方町や周辺の保健所などに配備していた。公立学校にはヨウ素剤を管理する養護教諭らがおり、事故の際に児童や生徒がすぐに服用できるため、より有効と判断した。
『茫猿独白』
 ヨウ素剤を配ると云うことは、原発事故の可能性を否定できないからだろうし、児童の安全に配慮するからだろうが、何か違う。大型プロジェクトの運用に絶対安全はないのだから、事故の危険性や蓋然性を見極めた上で、その時の被害を最小限度に止める施策が求められる。
 原発との共存が今や避けられない事態であるのならば、事故発生の蓋然性とその危険の度合いを公表することが先であろう。その上での市民の選択があると考えるのだが。ひっそりと過疎地にヨウ素を配ればよいというものではなかろうが。
 ちなみに、冬の季節風(伊吹颪)が吹くときに、福井の原発が事故を起こせば、その放射能汚染された風は、2時間以内に岐阜に届き、3時間以内に名古屋に到達するという。東海三県の小中学校にもヨウ素を配布しろ。
◎未来の森 (2007年03月04日)
『公害の被害者は三度殺される。一度目は加害企業により、二度目は行政に、三度目は無関心な世論によって。』
 とても印象的な言葉です。加害企業は資本の論理を最優先することで脱法行為を行い、時に違法行為を行って、自社の利益極大化のみを求めます。それこそ【経済の豊かさ:Obsession with Economy】なのでしょう。 行政は、ヌエのような無責任主義、もたれ合いのくせに蛸壺主義で、たらい回し主義で公害被害者や社会的弱者を見殺しにします。
「日本の資本は経済効率という、一見美名でその実、獰猛な資本主義の本質をむき出しにして、故郷を過疎にし、水や空気や耕地や森や若者を収奪し、今や、産業廃棄物と原発と原発の廃棄物の墓場にしようとしている。」
 国民や県民や市町村民は知らされていないのです。 ウルグァイラウンドの背後に存在した資本の獰猛さを、あの時から日本の山河はコンクリートに覆われ、日本の財政は国も地方も借金の山になったのです。
◎幸運の陰に潜むもの (2007年07月18日)
 (中略)とまあ、東京が抱えるリスクについて述べていたら、中越沖地震が東京の脆さを浮き彫りにしてしまった。東京電力の総発電出力7500万KWの一割を超える820万KWを、地震で操業停止に追い込まれた柏崎刈羽原発が発電しているという。猛暑が予想されるこの夏、東京は停電の危機に見舞われそうである。なお東京電力における原発の総発電出力は福島第一第二を合わせると1820万KWである。
◎桂東雑記 (2007年07月21日)
 柏崎刈羽原発は未知の断層帯の上に立地していたという。原発の安全神話が脆くも崩れ去ったのだけれど、ことの次第が国内では電力供給不安という方向で語られ、安全神話の補強がされているようだ。しかし海外では地震国日本と原発立地という観点から原発立地の安全性を正面からとらえられているようだ。我々は「杞憂」などと云うものではなく、「ダモクレスの剣」のもとにあるのだと改めて想わざるを得ない。原発に関しては様々な問題を抱えながら今や進むもならず、退くもならずというあたりが真実なのだろうか。
◎地価平均値 (2007年08月02日)
 都会への労働力供給基地と位置づけられ過疎化に苦しむ地方へ、道路建設・河川改修・砂防ダムといった鉄とコンクリート投下の公共事業を永年にわたって投薬し続け、慢性疾患を悪化させたのである。今や建設土木以外にみるべき産業が存在しない地方へ、原発立地などの劇薬をさらに与えた結果、事実上の安楽死を招いたともいえるのである。
 水、空気、電力など、それに安価で都合の良い新卒労働者や季節労働者の供給基地と位置づける以外に地方の在り方を考えてこなかったツケを、都会こそが今払わざるを得ない時期に至っていると気付くべきである。 グローバル的にフェアトレードが云われるけれど、国内的にもフェアトレードが意識されなければならない時期なのである。
 3.11以前記事の検索結果は以上である。 何も書いてこなかったわけではないにしても、及び腰は否めないことである。 何よりも身近な浜岡原発について、ひと言もふれていないのは、逃げていたと言われても仕方ないことである。
 雨上がりの陽光に照り映える楠の若葉、南京黄櫨(ハゼ)、画面左下は葉桜となったソメイヨシノ。
 

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