希望の光を見い出して(止揚no.112)

 前号記事に続き「冊子:止揚の第112号」よりの転載です。
 本記事は、止揚学園の御理解を得て、止揚学園が年三回発行する「冊子:止揚」掲載記事のうちより転載するものです。


《希望の鬼を見い出して》 小澤睦子(陸前高田市)
 止揚学園を辞めてもう一七年になります。
 思い起こせば、私が初めて学園を訪れたのは一九七六年の就職試験の時でした。短大で受洗してクリスチャンになって「何か人のためになる仕事をしたい」と思うようになり、温かみの中に一本の強い信仰の柱が通った止揚学園の募集要綱に強く惹かれました。
 そこで紹介されていた福井先生の本を買って読んでみますと、どんどん引き込まれてあっという間に読み終え、「よし就職試験を受けてみよう」と思いました。
 二泊三日のユニークな試験の中で一番心に残ったのは、やはり福井先生のお話しでした。その中で、「ために」という姿勢は、自分が高い所に立って相手のために何かしてやろうという高慢な姿勢であり、止揚学園では障害を持つ者と持たない者が同じ立場に立って、「共に」生きている所なのだ、と言われた時、自分がいかに高慢だったかを教えられ、大きな衝撃を受けたことを覚えています。
 一年目は残念ながら試験に落ち、二年目にして晴れて職員になることができました。それから一六年間、毎日が真剣勝負。どんな小さな仕事でも心をこめてすることを学園の仲間から教えられ、振り返ってみると青春の情熱を完全燃焼させてもらったように思います。
 さて今年の三月一一日は、私が住む陸前高田にとっても私にとっても生涯で最も忘れられない日となってしまいました。東日本大震災による大津波で自宅が流され、母・姉・甥・いとこなど八人の身内をほんの数十分の間に失ってしまったのです。
 その日私は、息子の誕生プレゼントの本を買いに海の近くのショッピングセンターに行きました。買い物をしている間に大地震が来て、屋根が落ちそうなくらい揺れました。私はよろけそうになりながら外に出て、地震が終わるのを待ってすぐ車で家に向かいました。
 するとすぐ津波警報が鳴り、「三メートルの津波」から「大津波」警報に変わり、その後に津波で軒並流されてしまった建物の前を過ぎ、これもまた後に壊されてしまった大橋の前で渋滞で待たされ、でも運良く橋を渡り、家にもどることができました。
 後で津波の威力のすごさを見た時は、一声も発することができませんでした。あのメチャクチャにつぶれた何百台の車の中に、あと数分遅ければ、私もいたかもしれなかったからです。津波寸前に家にもどった私は、何かとてつもない津波が来るかもしれないという緊張感に動かされ、すばやく通帳類、毛布、犬二匹を車に乗せ、ガスボンベを止め、高台の牛舎に避難しました。
 すると、三~四分して津波で船が何隻も集落に押し寄せ、家を破壊し、津波が家を浮かせ、動かしました。私は人々の泣き声や叫び声の中で、呆然と立ちすくむしかできませんでした。
 生まれて初めて目の当たりにした巨大津波で被災した事実を、しばらくの間受け入れることはできませんでした。しかし被災の現実は畜産農家を営む私たちに重くのしかかってきました。停電、断水で牛に与える水がポンプアップできず、ガソリンで発電機を動かさなければならないのに道路が寸断されてガソリンも買えない状態が続きました。
 さらに牧草畑も津波で流され、今年の牧草の収穫も見込めず、食事も一日に一食や二食という日が続きました。ヘトヘトになって牛に餌をやりながら、夫と二人で、牛の仕事はもうやめて止揚学園に避難しようと真剣に話し合っていました。さらに追討ちをかけるように、十日後に姉の遺体が見つかったことを聞き、何もかもやる気を失い、一人で大声で泣きました。
 福井義人さんが背中と両手に60キロぐらいの大荷物を持って、私たちの所に来てくれたのはそんな最悪な精神状態の時でした。まるで絶望の谷間で神様を見た思いでした。義人さんは福井先生からの手紙やたくさんの衣服や日用品、職員皆んなからのお見舞いまで持ってきてくれ、私たちは感動し、有難くて涙がとめどなく溢れました。
 学園では、福井先生はじめ、皆が心配で夜も眠れず、あちこち問い合わせたり、盛岡在住の元保母さんの大沢さんに陸前高田までの交通の情報を聞いて臨時のバスに義人さんが乗れるように手配を頼んでくれたり、必死に手を尽くしてくれていたことを聞き、本当に有難く胸が一杯になりました。
 そして、福井先生が、家の子供たちを学園に避難させて、みてあげると言って下さっていると聞き、子供たちにも聞いたところ、娘がすぐに「学園に行きたい」と言ったので、次の日すぐに連れて帰ってもらうことにしました。
 私たち家族は、止揚学園やそこにつながる方々の熱い祈りや思いや行動によって守られ、支えられ、絶望の淵から希望の光の見える所まで引き上げていただいたと、被災して三ケ月になりますが、本当に感謝しています。元保母さんだった富山在住の大房さんにも今回の
ことでいろいろお世話になり、止揚学園を幹とした元保母さんたちの強い絆を改めて感じました。特に福井先生には何度も励ましの手紙や電話をいただき、気持ちも落ち込まずにすみました。
 本当に一生感謝してもし尽くせないほどのお支えをいただき、心から感謝しています。また牛仲間や友人、全国の教会の皆様はじめ多くの皆様に温かい御支援をいただき、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。「止揚」の誌面を借りましてお礼を申し上げます。
 まだまだ以前のような普通の生活にはもどれませんが、皆様の心強いお祈りを支えにして、上を見上げつつ一歩ずつ歩んでいきたいと思います。どうか今後共、お祈りいただけますよう、心からお願い致します。

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