制度疲労を起こしていないか、地価公示

 ふとしたことから、地価公示に関わる宿題を与えられました。 茫猿は、「地価公示の現状をどのように考えるか。」というのです。 地価公示から引退した身には余る宿題だと申したのですが、引退したからこそ見えることもあるだろうし、考えることもあるだろうと云われるのです。 的を射ているのか的外れなのかは読者の判断にお任せするとして、「Old soldiers 」の繰り言としてお読み下さい。


 かつて、地価公示は鑑定評価の実務標準であった。 積算価格然り、収益価格然り、比準価格は言うまでもなく実務標準であった。 学究の成果は地価公示の思考方法や書式に反映され、時には新しい考え方に基づく評価手法の試行も行われた。 最近はそれが絶えて久しいのではないか。特にコンピュータ化以後は顕著のように思われる。 コンピュータ化・デジタル化は避けがたい潮流ではあるが、コンピュータ化即ち精緻化という誤った認識がまかり通っているのではなかろうか。
 比準価格に例をとってみよう。
1.取引事例の共同収集並びに共同作成は、地価公示作業の時間的・経費的制約並びに、事例収集作業を協同して行うことにより地価動向認識の共有等の目標からすれば当然のことである。
 しかし、その共同作業が行き過ぎてはいないかと考えられる。
他者の作成した事例について、採用と比準過程は自己責任とはいえ、配分法、事情補正、時点修正、標準化補正について、みだりに変更したり修正を加えたりすることは認められていない。 A評価員が修正した結果は全評価人の共有するものとしなければ、作業に支障を来すからである。その結果、A評価員の担当する標準地評価の基礎とする事例の全てが他者の作成する事例であるということも稀ではない。 A評価員は比準価格試算過程の大半を他者の判断結果に委ねるという事態が発生する。
 それでも、地域格差補正が残されているではないかという指摘があろうが、実は地域格差補正に使用する比準表は、分科会で共同作成されており、そこに個々の評価員の恣意(客観的)も判断も介在する余地は極めて少ないのである。 評価員に残されるのは、僅かに最後の工程即ち、数個の比準結果を調整して比準価格を決定することのみである。
 異論はあろう。A評価員には事例選択の自由が残されているという反論があろうが、さほどに豊富でない事例資料の内から最適な、つまり規範性の高い事例を選択しようとすれば、自ずと絞り込まれるのであり、A評価員とB評価員の選択結果に大きな差は生じないのが通例である。
2.評価員の個性と事例
 評価員の経験や思考過程によっては、複合不動産取引事例の配分法適用結果や、事情補正値に少なくない差異が生じるのは当然のことである。 その差異は分科会討議のなかで収斂されてゆくものであるが、その収斂過程に問題がある。 配分法や事情補正値が事例地周辺に存在する固定資産税標準宅地や公示地、地価調査地に得てして引きづられがちであり、分科会の総意としてそのような収斂を求められることも少なくない。
 これは事勿れを指向する分科会の集団催眠といってもよい事態である。異端を嫌い予定調和を指向する傾向が近年益々多くなっているのではなかろうか。 それは、地価公示における合成の誤謬と評してもよい事態なのである。
3.比準表の問題点
 多くの場合に比準表は六次改訂土地価格比準表を基礎として作成されている。六次改訂といえば何度も改訂を重ねているように聞こえるが、実は1994年以降15年間も改訂作業は行われていないのである。
 電卓すらも今ほどに普及していない時代、ましてパソコンなどは身近に存在しなかった1975年に作成され、数次の改訂は経たものの、パソコンが身近になり利用が当たり前になって以降、改訂作業は全く放置されたままである。 コンピュータ化時代に即応した数値比準表が探求されなければならないにも拘わらず、何ら手を付けられていないのである。
 地域要因と個別要因の重複是正、数値化要因の的確な把握、及び数量化要因の客観化も重視しなければならないであろうに、評価員の判断に多くを委ねる定性的要因の跋扈並びに重複が放置されている。 数値比準表についてはこちらへ。
4.地価動向の把握
 地価動向の把握は難しいことである。市場のプレイヤーにヒアリングすることも欠かせない。様々に公開され流布している情報を的確に分析することも必要である。 同時に鑑定士は悉皆調査結果として年間数十万件の事例を手にしているのであり、悉皆調査開始後既に数年を経て、二百万件とも三百万件とも数えられる取引事例を手にしているのである。
 さらに取引価格は不明でも取引データとしての初期値である取引資料をその数倍もの量として分析可能なのであるが、系統的分析が為されているとは言い難い。 iNet市場に溢れている取引資料の有効活用も図られているとは言い難い現状である。 総じて地価公示のコンピュータ化がもたらしたものは、一見して精緻化に見えるが、確かな資料を基礎とするものでなければ如何なる精緻化も砂上の楼閣であり、無意味な数値の積み重ねに過ぎないと評しては言い過ぎだろうか。
5.かつて地価公示が目標としたもの
 不動産鑑定法が制定されてから約48年、地価公示法が制定されてから約42年、地価公示はこの先どうあるべきだろうと考える時に、誕生時の背景を考えるのも意味あることと思います。
 不動産鑑定評価(1963.07.16法施行)と地価公示(1969.06.23法施行)は車の両輪だとよく言われますが、制度発足当初の背景には「損失補償基準要綱(1962年閣議決定)」が存在しました。 その後には国土利用計画法(1974年制定)に定める「土地取引の規制措置」という背景も無視できないことであろうと考えます。
 これら、高度成長期すなわち地価上昇期を背景として生まれた地価公示が、低成長期(地価横這いあるいは下降期)において、その存在意義を何処に求めるのかということでもあろうかと考えます。 
 不動産鑑定評価並びに地価公示に求められる社会のニーズが変化したことに、鈍感で在りすぎないかと云うのです。 今や地価公示は、税評価の規準となっていると云うよりも、元来、保守的安定的な指向性が強いという特性を持つ固評、相評のしがらみに喘いでいると言っては言い過ぎでしょうか。
 時代は不動産市場への外資導入や証券化、そしてグローバル標準の地価インデックスや不動産取引センサスを求めているのであり、地理情報を活用した不動産データのビジュアル化を求めているのではないでしょうか。 昨今の地価公示公表期にみられるマスコミ論調のパターン化も見逃せないことです。それは社会の関心が薄れていることの反映ではないでしょうか。
 かつては地価公示価格の示す結果について、地価公示のあり方も含めた賛否両論・毀誉褒貶とも云える論調が溢れていました。厳しい批判が多いことは、即ち社会の関心の高さでもあったと考えるのです。
6.今後の地価公示に期待されること
(1)複合不動産の評価
 地価公示は更地価格の公示を行うものであるが、複合不動産についても何らかの価格指標としてのあり方が検討できないだろうか。 それは、不動産の個別性追求につながり、想定賃貸建物から試算する土地残余法収益価格からの脱却でもある。
(2)市場の精密分析
 取引事例の詳細調査を検討すべきではないか、全ての事例について行うことは無理であるが、一部の重要と認められる事例については、取引当事者への事情聴取や取引背景の分析、仲介市場でのヒアリング、その他様々な手段を駆使して、取引事例の詳細調査を試行したら如何なものであろうか。
 このことは(1)項と併せて、あるいは(3)項にもつながるものとして考えてみたい。公共事業用地取得価格、及び税務評価はエリアの均衡を重視する標準価格指向であり地価水準指向である。 今や社会が求めているのは多様な地価であり、個別性を重視した地価であろうと考える。 エリアの地価水準にとらわれていては見えてこない、個々の不動産が保有している経済価値であり、それは個々の不動産を詳細に分析することからのみ到達できるものであろう。 それが公示価格の政策目標からは相容れないというのであれば、公示価格の存在意義もまた薄れていると云えるのであろう。
(3)ルーテインワークの打破
 好きに書かせる地価公示というものも検討の余地はなかろうか。
先験的試み、例えば地理座標値から何が生まれるか、見えてくるのか、標準純収益から何が見えるのか、様々なテーマ毎に評価員が前衛的試行を行っては如何だろうか。
仕様書に基づく提出物とは別に、1人に1ポイントくらいの実験を試みてみるのである。
 希望者のみが行い、書式、形式は自由とし、事例の処理、比準表の創意工夫、地理情報の活用、時に地価動向分析まで含めた、「新しい実務標準」を目指す実験が出来ないだろうかと考える。 地理情報を活用したビジュアルな作業並びにビジュアルな開示も視野に入るでしょう。 今や地価公示しかできない鑑定士は市場から退場を迫られているとさえ思えるのです。
 総じて、このような考え方は少数派なのであろうと思います。 事実、茫猿も斯様な考えを披瀝しては孤立していました。 七十歳を数年残して地価公示を引退したのは、父母の介護という家庭の事情がありましたが、直接の原因は固定資産税評価と地価公示の軋轢に耐えきれなくなったことや、多くの同僚の事勿れ主義に耐えられなくなったことにあります。 今さら言えば「引かれ者の小唄」に過ぎないでしょうが、去りゆく老兵の「捨て台詞」と受け取られることを承知の上での、小唄なのです。

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