樹間爽風

九日間という長期休暇に世間が沸いた今年の連休も終わる。 タイの南部リペ島とかいう訳の判らぬ小島へ行っていた長男夫婦も、Twitterが報せるところでは先ほど無事に成田へ帰ってきたようである。 次男は瀬戸内の小島で、島へ訪れてくる客を迎えて彼なりの連休を楽しんでいたようで、「佳き哉、佳き哉」と思っている。

茫猿は連休の後半四日間を費やして、藪の下草を刈りとり、畑の草抜きに汗を流したのである。

藪の下草を刈り取れば、見通しが佳くなった樹間を通り抜けてゆく風が爽やかになる。 立夏を過ぎた陽射しが若葉から木洩れてくるさまも、清かで心和ませてくれる。 本業のあいまをぬって気ぜわしく動力鎌を使っていた頃とちがい、いまはゆっくりと鎌をつかい、一つひとつの樹木や草花を慈しみながら作業を進めている。 いままでは見えなかったとも見ようとしなかったとも云える、木々や名も無き草花に心を移している。 これまた佳き哉なのである。
 桜が咲けばともに見た人をおもい、石楠花が咲けば慈しんだ人は何処とおもう日々は、いつになっても変わらないのだろうと思うと同時に、変わらないでいたいと思うのである。 老いにはまだ間があると思うけれど、農作業をしていても、本を読んでいても衰えを感じることが多くなったこの頃である。 枯淡の境地などというものは突然に得られるものではなく、徐々に近づいてゆき気付いたらそれらしくなっていたというのが真実なのであろう。

先月も久闊を叙した集まりがあったが、来週にも二十年ぶりに近い集いがある。四十数年を経た三次試験同期生の集まりなのだが、アルバムを開いて青雲の志に燃えていた頃の彼等の顔をながめながら、いまや老境に近づいてどのような顔立ちになっているだろうかと楽しみなのである。 皺を加え、白髪多くあるいは髪薄くなりつつも、佳き顔を得ていてほしいと願っている。

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