じゃが芋の花

昨日の新スキーム改善委概報記事:三、現行の資料管理閲覧等規程の項にて、「旧鑑定協会並びに日鑑連の執行部に在職する多くの役員諸氏(正副会長並びに常務理事諸氏)が、自らの責任を自覚されていないやに伺えることも不思議なことである」と書きましたが、茫猿は執行部のみを責めて事足りるとは考えておりません。 改革改善に反対してきた会員諸氏にも、傍観してきた会員諸氏にも、そして言揚げをしたものの言揚げに終わってしまった茫猿も含めて、皆が等しくその責任を分かち合わなければならないと考えています。

管理閲覧規程の存在自体を俺は知らなかった、読んだこともなかったでは済まされないのです。なぜなら不動産鑑定士は専門職業家であるからです。 我が村の鄙議会議員氏でも、こんな的外れの議論はしないのです。 いまさらに、士協会財政の破綻を憂慮するとか、安い閲覧料や閲覧機会の緩和措置は粗悪な鑑定評価を蔓延させるといった類の議論は、一見して的を射ている様に聞こえますが、実は本末転倒であり、筋違いの議論なのです。

士協会財政は会費をもって充てるべきものであり、会費で充足できなければ真っ当な事業収益をもってまかなうべきものなのです。 借用品を利用した「後ろめたい借り物事業収益」をもって充てるべきものではないのです。

安い閲覧料は粗悪鑑定評価の蔓延を招きかねないかもしれませんが、鑑定評価の質的向上は別途の手段で行われるべきものであり、豊富な事例資料利用機会こそは鑑定評価の質的向上に欠かせないものであると知るべきなのです。 基礎資料が貧弱であれば、成果品も貧弱にならざるを得ないのも自明のことです。

こんな風に吠えている茫猿などにはお構いなしに、鄙里は秋を深めています。 秋ジャガの花が咲き始めました。あと一ヶ月もすれば新ジャガを掘り出せることでしょう。 一年半も前に同じく「じゃが芋の花」と題する記事を書いていた。 読み返してみたら、我ながら巧いことを言ってるなと思ったから再掲する。 自画自賛なのである。

《それにしても観賞用の花々に比べて、野菜の花はどうしてこんなに美しいのだろうかと不思議である。 たとえ方は良くないけれど、観賞用の花々が見られることに慣れている化粧上手な女であるとすれば、野菜の花は鄙の破れ屋にひっそりとたたずんでいる素顔の綺麗な女と云えようか。》(*^_^*) やはり自画自賛、手前味噌、汗顔の極みなのである。これだけのことを言うために、どれほどの授業料を払ってきたのかと云うべきであろう。

大根や赤蕪も太くなってきました。今朝の味噌汁は大根の葉と太くなった根にまだまだ生っている秋茄子を汁の実とする、岡崎三年八丁味噌汁です。

絹さやの花です。普通は春先の野菜ですが、霜おき絹さやという晩秋栽培の莢豌豆(さやえんどう)だそうです。どのくらい収穫できるのか初めての栽培なのでわかりませんが、今のところ花付きは良好です。

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