山桜

何度も取り上げてきた鄙桜の話ではない、映画の話である。 藤沢周平原作の短編小説を映画化したものである。 原作は1981年頃に発表された文庫本にして20頁ほどの小説を、映画化して2008/05に公開されたものである。

山桜」の映画化も、上映公開も知ってはいたが、藤沢作品にしては上映館が少なかったので、ついつい見逃してしまった作品であったが、NHK-BSにて放映されたので録画しておき昨夜観たのである。 原作はいつ読んだのか粗筋もなにも忘れていたけれど、映画のラストに心動かされて、原作をもう一度読み直してみた。

ストーリーを無理に変えることなく原作に実に忠実に映画化されていたのである。というのも20頁の小品であるから、原作自体がプロットとも云えるものであり、随所のエピソードが創作挿入されているのはやむを得ないことである。 しかし、映画はむやみやたらに創作しているのではなく、原作の行間を見事に埋める無駄のない抑揚のきいたストーリー展開である。

作品の題名にもなっている山里にひっそりと咲く満開の山桜のロングカットも美しいし、雪を頂いた庄内の山並みを背景とする桜も美しいカットである。いちばんに好ましく観たのは、映画のラスト近くである。
富司純子演じる手塚弥一郎《入牢中》の母が「あのことがあってから、たずねて来るひとが一人もいなくなりました。さびしゅうございました。ひとがたずねて来たのは、野江さん、あなたがはじめてですよ。」  原作のラストと一字一句違わぬセリフを、富司純子がほほえみを浮かべるような表情で、感情を押さえて語るラストは秀逸である。 まさに藤沢ワールドが展開されているのである。

野江と入牢中の手塚弥一郎が、どのような結末を迎えるのか、映画は何も語らない。 野江は再び巡り来たった満開の山桜を眺め、弥一郎は格子窓より牢内に舞い散る花びらを静かに眺めているだけである。 二人の結末は観る者の心うちにゆだねられているのである。

我が鄙里では桜の盛りは過ぎましたが、それでも咲き遅れた山桜が一本咲いていますし、八重桜が見頃になってきました。他にも皐月《サツキ》、平戸躑躅《ヒラドツツジ》、花梨《カリン》、満天星《ドウダン》などが咲き始め、咲き誇りしています。

まだまだ若木であるけれど、見頃を迎えた八重桜、今年の花付きはとても良いのです。

木陰に咲く山吹。

これも満開、小手毬《コデマリ》。

こちらも白い花をつける満天星躑躅《ドウダンツツジ》。

紅い花なら、紅蘇芳《ベニズオウ》。

同じく、菊桃。

咲き始めた花梨《カリン》、背景はハナミズキ。

北風があたらず陽当たりの佳い場所では皐月《サツキ》が咲き始め、

サツキより先に咲くヒラドツツジもチラホラと咲いてます。
来週あたりには満開になって、予定されている来客を迎えるでしょう。

葉桜《大島桜》のかげには桜の実が見えています。

初夏の訪れを感じさせる柿若葉。三十分も野良仕事をすれば汗ばむ季節になりました。
水の冷たさが苦にならないので、池の堰堤築造と土砂浚え工事は着々と進んでいます。

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