2014年も何ということもなく過ぎ、今日は早や九日。
FBやらTwitterやらイントラネットなどでは、新年早々のボケも幾つか書き込まれているから、少しは突っ込んでみようかと思ってはみた。 みたけれど、今さらに波風をたてるのも気伏せりなこととやめにする。 そうして、今日も一日が過ぎてゆく。
今夜あたりから寒波が襲来するらしいが、今夕の伊吹は夕映えに輝いている。
円安為替差益&株高差益に支えられた見せかけの景気回復に酔うたのだろうか、安倍総理の右旋回が甚だしい。 靖国神社(準公式)参拝、集団自衛権解釈改憲など、とても危うい。
集団的自衛権行使容認は日本を戦争に巻き込みかねない危険を大きくするだけのことであるし、戦後成長を支えた中道保守政権を大きく右旋回しようとするものである。
靖国参拝についていえば、戦場に若き命を散らした先人達を悼み、そして敬う気持ちにおいて私は人後に落ちないつもりである。 同時に銃後において戦火に命を落とした先人たちを悼むことも忘れては為らない。 そして日本軍が戦場とした海外各国において戦火に巻き込まれた人たちのことも深く悼むのである。
靖国神社の歴史は明治期に始まり、国の為に戦場に倒れた兵士たちを祀る神社である。 国家神道国家護持のもとに「靖国で会おう」を合言葉として、多くの若者を戦場に駆り立てた歴史をもっているし、その歴史は今も総括されていない。 宗教心は個人の心の自由であり、安倍晋三氏といえども、静かにお詣りするのであれば殊更に言揚げするつもりは全くない。
しかし、時の総理が礼服に威儀をただし、総理として記帳し供物を捧げ昇殿参拝をすることには大きな違和感を感じるのである。 それはどのように言い繕おうとも、世の中に向けた《世界に向けた》政治パフォーマンスに他ならないのである。 安倍自民党が設けた改憲草案が示している道をひた走るぞという、《幼児性が垣間見える》パフォーマンスに他ならないものであることを危惧する。
この件について 目を通しておきたい記事がある。
《靖国神社の国家護持に、私たち真宗者はなぜ反対するのでしょうか。》
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