染井吉野ばかり何故もてる

私は染井吉野桜ばかりがもてはやされる風潮に違和感を感じています。染井吉野桜の華やかさは認めますが、一斉に咲き一斉に散る桜に違和感を感じます。 ましてや染井吉野ばかりを植えて、花の時期には桜色《この桜色とは染井吉野の薄桃色》一色となる景色に違和感を感じます。

この染井吉野桜が日本の国花ともてはやされたり、ヤマト心を示す花と言われたりするのにも違和感を感じています。染井吉野は江戸時代末期に江戸の染井村で作られた園芸種であり、花をうたわれながらも、種をつけないF1雑種といわれています。《増やすには、接ぎ木や挿し木で行われます。》 先の15年戦争中には散り際のいさぎよさを愛でられて、出征兵士を送るにふさわしい花と称えられた歴史をもつ《悲しくも忌まわしい》花です。

花木としての寿命も70年前後といわれ比較的短いのですが、染井吉野桜ばかりを植樹することから病気が発生すれば、その病が蔓延することも多いのです。 経済性を優先して、山に杉や檜ばかり植林したことから山が荒れるもととなり、災害の原因ともなるように、一斉林は植林方法としては自然に逆らうものであり、広葉樹などを混植する混合林のほうが自然の摂理にかなうものといわれるように、河川堤防や公園にソメイヨシノ桜ばかりを植えることに違和感を感じます。

山に杉や檜ばかりを植えた結果が、山に広葉樹の果実《栃、胡桃、団栗など》を無くしてしまい、イノシシやシカ、サルの餌を無くしてしまったのです。 林業の経済性優先が、山を弱くして災害を招き、山に生きる動物を里に引き入れ、山の景色を無味乾燥なものとしてしまったのです。

何よりも、春の一時期、何処を見てもソメイヨシノ一色となる景色を不思議と思わない風潮に違和感を感じますし、美的感覚の不自然さを感じるのです。 牽強付会かもしれませんが、異端を排除する風潮や皆同じであることを良しとする風潮につながるような感じがするのです。

公園や河川堤防がソメイヨシノの桜色一色に染まる景色は、それなりに美しいものですが、何やら桜祭りの集客力優先《経済性一辺倒、管理の容易さ優先》を感じてしまうのです。 秋の紅葉を思い浮かべてみて下さい。 紅葉はカエデの色ばかりではありません。紅葉もあれば黄葉もあります、桜もあれば柿もあります、ツタやイチョウもあります。 様々な落葉樹と常緑樹が混じり合う綾錦の彩りは、春のソメイヨシノ桜一色の景色とは明らかに異なるものと思います。

さらに牽強付会でしょうが、「和をもって尊し」、「付和雷同」、「寄らば大樹のかげ」などに通じるものを感じてしまいます。 「和して同ぜず」、「小異を残して大同につく」姿勢とは異なるものと思うのです。 少数意見を尊重する姿勢、異端を排除せずに認めてゆく姿勢、異なる者同士が混じり合って多彩な景観をつくり、柔軟で多様性が存在する景観を佳しと考えるのです。

右向け右的な一斉主義は経済合理性にかなうものかもしれませんが、病に弱く変化に弱い危うさを秘めているものです。 思い浮かべてみて下さい。 ソメイヨシノばかりの華やかだけど危うい景色と、芽吹く柳の若葉が混じり合う景色と、どちらがお好みですか。 ソメイヨシノ、枝垂れ桜、八重桜、大島桜に山桜そして柳などが混じり合う景色の美しさを茫猿は佳しとするのです。100406narito-1

茫猿のような意見は少数であり異端なのでしょうが、ソメイヨシノ一色の春景色は経済合理性優先であり、束の間の美を良しとする風潮に思えてなりません。 日本の町がどこもかしこも同じ景色《建物も看板も店舗構成も》になっているのと同様に、日本の公園や堤防散策路がどこもかしこも同じ景色となってしまったことが、不思議でありとても違和感を感じるのです。140403hinazakula

山桜に華やかさはありませんが、花と若葉のグラデーションは美しいものですし、花木の寿命も永いのです。 美しさについての評価は人それぞれであって然るべきと考えます。 しかし、自然景観や社会景観が一斉であることには、常に疑問を抱いていていたいと考えるのですが、如何なものでしょうか。 多様性を良しとし、寛容性が豊かで柔軟な社会とその反映としての自然景観を願うのです。140403hinazakura

何よりも、茫猿の好きなこれらの歌に詠まれている桜花は、ソメイヨシノではありません。これらの詠み人が生きた時代の日本にはソメイヨシノは生まれていないのです。ソメイヨシノは江戸末期《1800年以降》につくられた園芸種であり、競って植栽されたのは明治以降とくに戦後なのです。

花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
《小野小町:古今和歌集:850年頃没》

世の中に  絶えて桜の  なかりせば  春の心は  のどけからまし
《在原業平:古今和歌集:880年没》

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
《紀友則:古今和歌集:907年没》

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
《西行法師:山家集:1190年没》

 

 

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