墓参、伊吹、河豚ちり

先月末に思い立って友の墓参りに行ってきた。お彼岸の頃か、彼の眠る境内の枝垂れ桜が満開の頃が好ましいと考えはした。だけどその頃は観光客で街がとても混雑するだろうと思えば、入学試験が終わり閑散としている今が友を偲ぶには佳い時季だろうと思ったのである。

閑散と云うほどではなかったが、列車も空いていたし、街中に渋滞はなかった。なによりもひとけのない境内も墓地も好ましいものだった。風はまだ冷たくても陽射しは春のものだし、桜はまだでも枝垂れ紅梅や古武士の風情を漂わせる白梅は満開だった。

中村の墓前に持参した花を供え線香を焚いて、無沙汰を詫びながらも無事に齢を重ねた我が身の報告した。梅を愛でながら比叡山や東山の山並みを眺め、彼と同じく五十年をともにした同行する友と、とりとめのない会話をしばらくのあいだ交わした。

墓参は一周忌の頃以来だったが、流れる空気は随分と違って感じた。喪失感や嘆きに変わりはないけれど、流れる空気は穏やかな落ち着きあるものだった。二十ヶ月の時間はそれらの思いを記憶の底に沈めてくれ、彼がいない空間を当り前のごとくに変えてくれたのだと思わされた。その夜は松田と食事を共にしたのだが、互いの近況を語ること多くて中村が話題になることは少なくなっていた。時間と云うものは廻り舞台のように場面を転換してくれるようである。

墓参を終えてから夕刻までのあいだを独りで歩いた。中村の菩提寺は地下鉄の鞍馬口駅から東へ鴨川に至る道筋のなか程にあるから、先ずは閑静な住宅街を抜けて鴨川に出た。鴨川ベリも人影はまばらで、川面には数組のオシドリが餌取りをしていた。

鴨川にかかる出雲路橋を渡って、東側の土手散歩道を北へ向かうと北大路に出る。松田と待ち合わせた烏丸今出川駅付近で花屋を探したけれど見当たらず、小さなスーパーで有り合わせの花を求めたのだけれど、北大路橋から北大路駅《烏丸北大路》に至るあいだで二軒もの良さそうなフラワーショップを見かけた。待ち合わせ駅が異なっていたら、もう少し華やかな花を供えることができたのにと、心残りに思えた。

昼食を抜いていたので、北大路駅付近で食事場所を探すのである。北大路駅は地下鉄と市バスターミナルの連結する処だから、小洒落たカフェやナショナルチェーン店は多い。けれどもそんな店を選ぶ気にはなれず、昔ながらのうどん屋を探すのである。構えの好ましいうどん屋は近所の人や、《いるのかいないのか判らないが》丼もの好みの学生などに支えられているのだろう。

年寄り夫婦で営業するうどん屋は、うどんとそばと丼ものに加えて洋食も品書きにのせていた。洋食と云ってもカレーライス、オムライス、焼き飯だけれど。品書きを眺めながら、学生の頃に慣れ親しんだ”しっぽくうどん”にするか”木の葉丼”にするかと悩んだ挙げ句、壁に張り出してあった季節ものなのだろう「しっぽくにゅうめん」を選んだのだが、正解だった。空きっ腹に煮麺《にゅうめん》はほど佳く納まった。

《しっぽくうどん》うどんの上に、甘辛く煮た椎茸、揚げの他に車麩、蒲鉾、青菜などを載せた、暖かいうどんである。しっぽくにゅうめんは湯がいたそうめんをうどんに替えてある。
《木の葉丼》しっぽくうどんと同じような具材を載せた丼である。卵でとじる店もある。

現役を退いてから京都へ向かう時は、大垣駅からシャトル切符を利用している。シャトル切符とは大垣駅から米原駅までは在来線、米原駅から京都までは新幹線を利用するというJR東海限定利用の切符である。在来線で関ヶ原を越えるから停車する駅々で伊吹山がとても良く見えるのである。この日も雪を抱いた伊吹山が美濃側と近江側ではまったく異なる山容を見せていた。

美濃側から眺める伊吹山。優美な姿である。《自宅付近で過日撮影》20170118ibuki-b

近江側、柏原駅付近の伊吹山。堂々たる山塊を見せる。《翌日撮影、曇り空の下である。》20170301ibuki-kasiwala

翌朝は、錦市場へ向かうのである。もう季節が過ぎようとしているフグを探すのである。錦御幸町あたりの間口の小さな”まる伊”では、調理したばかりの”テッサ”、”カワ”、”シラコ”と並んで鍋用”アラ”が並べられていた。

夏はハモ、冬はフグのみを扱う専門店の”フグアラ”は旨かった。パックに貼付けてある値札を見つけて「年金生活者がそんな高いものをモッタイナイ」と愚痴まじりに小言を言ってた家人も、箸をつければ笑顔になった。老夫婦には食べきれない量のフグの解し《ほぐし》身をいれた雑炊まで舌鼓をうってくれた。三回忌の頃に墓参をする機会があれば、次回はハモが楽しみなのである。

茫猿の鍋奉行を務めるフグチリには独特の作法がある。フグと白菜や茸を食したあとに雑炊へと進むのが一般的なのであろうが、茫猿はこのフグと昆布のスープで湯豆腐を頂くのである。普通の湯豆腐よりもしっかりと煮てスープのしみ込んだ豆腐が絶品なのである。フグチリはフグもさることながら雑炊を楽しみにする人が多いけれど、茫猿はフグ出汁で湯がくというよりもしっかり煮込んだ豆腐が好きなのである。

フグに限らず鍋物には茫猿流の小さなこだわりが幾つかある。豆腐や分葱を選ぶこと、ポン酢は自家製のカボス搾り汁《昨秋に搾って冷凍保存してある》であること、そして原了郭の一味に拘ることなどであろうか。この日のフグ雑炊をふた味旨くしてくれたのは打田の樽出し古漬け高菜の刻みだった。家人は、明日の朝は高菜包みのお握りが楽しみと言っていた。

年に一度か二度のささやかな贅沢ではあるけれど、旬に旬のものをいただく、次の旬が必ず来るとは限らないから、今の旬を大切にする。思い立ったら墓参をするのも、朝イチの錦市場を歩くのも、晴耕雨読の身であればこそ許される一期一会の小さな奢りなのだと合掌するのである。時は弥生三月、桜も桃も躑躅もちかい、今朝は木の芽起こしの雨だ。

 

 

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