六日の菖蒲十日の菊

【只管打座・・六日の菖蒲十日の菊・・01.11.16】
 『鄙からの発信』でも度々、ご紹介しております「滋賀県・止揚学園」
の福井達雨先生から、冊子・止揚・第83号をお届けいただきました。
先生は偶然にも8月の終わりから9月にかけて、2週間ほどパキスタン
のラホールにある「知能障害者施設、ダール・ムサラート」へ講演や講
義にお出かけになっており、冊子のなかでも、その訪問記と合わせてア
フガン問題について書いておられます。
 常に増して示唆に富むお話なのですが、長文ですから軽々しい部分引
用はかえって先生の真意を損ねることに為りかねませんので、直接的な
引用は避けて、私の読後感想を記してみたいと思います。
 御承知のように、先生は知能障害者施設運営に永らく携わっておられ、
常に弱者の視点から、あるいは少数者の視点からものごとを御覧になり
ます。そして健常者や多数派が陥り易い、驕りや高慢さを戒められます。
 今回の事件に関しても、当然のこととして人の命を奪うテロ行為には
大きな怒りと深い悲しみを記されています。しかし、同時に富める国の
持つ無邪気な正義感や自由を尊重する個人主義的風俗が、時として貧し
い国々では大きい誤解を生み出しかねないことも指摘されています。
事件勃発の数日前まで、パキスタンに滞在されていただけに、先生が語
る南西アジアの様子には説得力があります。
 今回の事件(アフガン戦争)に関して、一時のテロ行為に対する怒りが
少し静まってきたせいでしょうか、「テロ行為は許せないが、テロを生
み出した背景について改めて考え直そう」という論調も少しずつ増えて
きたように思います。
 先生の言葉を引用すれば、
「テロや報復から総ての人間の幸福はやってきません。」と語る見識も
必要だと思います。生命や平和を守るために、時には不器用で非合理な
生き方も大切なのです。(引用終了)
 さて、平和を語ったり、武力行使の虚しさを云いますと「臆病者」呼
ばわりされます。非常時には元気のいい言葉が好まれますし、報復戦争
に反対すれば、下手をすれば非国民扱いされかねません。
 でも専守防衛、海外派兵禁止の国策を守ることの方が、長い目で見れ
ば国益に叶うのではないでしょうか。「ショー・ザ・フラッグ」という
誤訳にそそのかされて、海外派兵に踏み切ることの重大さを今一度考え
直してみたいものと想います。
 また、これらのことは他人事でなく、自身がもしくは自分の息子や孫
が海外の戦場や戦場近くに軍隊として派遣されるとして、どうなのかと
考えたいものです。
 そして福井先生の冊子連載記事のタイトル「負けいくさにかける」の
意味や、久野収氏の「少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、
どんな敗北の中からも民主主義完成の契機がある。どんなに敗北を重ね
ても負けない自分がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の
勝利を考えるようになると組織や運動はもちろん人間の堕落が始まる。」
 と云う言葉の重みを考え直してみたいと思っています。
 折しも、米軍支援を目的に日本を旅立った日本艦隊は、いまどの辺り
を航海しているのでしょうか。アフガンの首都が陥落したというニュー
スを何処の海で聞き、彼等は何を考えているのでしょうか。
 六日の菖蒲、十日の菊になってしまい、派遣の事実だけが残るという
ことに為らなければよいのですが。
※福井達雨先生のお話が放映されます。
 12/09(日)AM.5:00~6:00 NHK教育TV「心の時代」
 12/16(日)PM.2:00~3:00 再放送
※止揚学園のWeb Site  http://www.biwa.ne.jp/~ikuru/
※鄙からの発信では   http://www.morishima.com/shiyou/
いつもの蛇足です ———
※六日の菖蒲十日の菊
端午の節句(5/5)後の菖蒲、重陽の節句(9/9)後の菊を云う。
時機におくれて役に立たないことのたとえ。

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