脇が甘かった

【只管打座・・脇が甘かった・・02.03.26】
 有り得るなと思っていたら、やはり辻元バッシングが始まった。
97年当時のことであるから、5年も前のことである。最も有効なタイミング
を狙ってバッシングを始めたと云うことであろう。しかも、火付け役が週刊
新潮とは、話が出来すぎている。
 民主党の山本議員や自民党の中島議員が同種の話で告発された時期に政治
資金報告を修正申告しておけば、どうということはないのに、脇が甘かった。
 ムネオ氏を「嘘つき」呼ばわりするなど、叩きすぎたし、TVに出て目立
ちすぎたから嫉妬やヤッカミも買ってしまったのであろう。
 でも、下手に居直らない後始末のやり方次第と、どう立ち直るかで、将来
はまだ有るだろうと思うし、結構タフな方だと拝見しているのだが。
 ただ、こんな話がある。
こういった事件が起きる度に、政治浄化とか清潔な政治などと云うタカラヅ
カ的な意見がよく聞かれるが、民度を超えた政治家も政治も得られないのだ
と云うことと、金まみれの民主主義と清潔なファシズムのどちらを選ぶのか
という問題がある。
 清潔な民主主義が望ましいのは当然だが、議員に天下国家論や高尚な哲学
を期待できるほどに、私たちは成熟しているのだろうか。応援した議員に何
の見返りも求めない選挙民などはごく少ないのではなかろうか。
 何も直接的な見返りでなくとも、地元の為に町内の為に働いて欲しい。
地元の望む事業を動かして欲しいと考えるのが一般的なのではなかろうか。
 清流に魚住まずとまでは云わないが、あまりの清潔さを政治に求めること
は、角を矯めて牛を殺すことになりかねないし、ムネオ叩きもそうであった
が極端に一方に偏するマスコミの動向は危険なものを感じる。
 ムネオ氏と外務省の問題は、知る人ぞ知る問題であったろうと思います。
大新聞の政治記者が何も知らなかったとは、とても考えられないし、外務省
の内部文書の大量流出にはある種の意図さえ感じられる。
 利権的なものが少ない外務省の内部文書にしてこうであるから、建設・通
産・大蔵といったセクションの内部文書には恐怖が感じられる。
辻元氏の秘書給与流用とか名義貸しという問題をリークした主が誰であるか
判らないが、次元の低い叩き合いに見えて仕方がないのです。
 こういった低次元の話に目を奪われている内に、有事立法や情報規制法な
どの準備が着々と進められるようだし、大銀行や大スーパー・大ゼネコンに
は救いの手をさしのべても、中小金融や五六番手以下の企業は破綻させてい
る。
 全てに同じ基準を適用し法的に明らかな対処が為されることなく、相も変
わらず恣意的な政策運用が行われることにこそ、異議申し立てをしなければ
ならないのだが、日本のマスコミの幼児化現象も極まれりということであろ
うか。
・・・・・・・本章終わり・・・・・・・

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