ズルと不平等

【只管打座・・ズルと不平等・・04.12.02】
 最近しきりと警告されるのが日本社会の階級化現象である。
世論調査でも国民の中流意識が薄れつつあるという。
交通事故死者数が7千7百人なのに、年間の自殺者数は3万5千人に近いというし、ホームレスの数は2万5千人とも云われる。
 景気も踊り場に差し掛かったようだし、寒さが厳しくなる折から、新潟中越地震被災者の方々や豊岡水害被災者の方々の師走を思えば気鬱なことである。
そんな折から、書店で2冊の興味深い本に出会ったことである。
一冊は「封印される不平等」という本である。
ブックサービスの惹句から引用すると。
『日本の社会は今、大きく分断されつつある。
1つは、アメリカ型の競争社会の到来を喜び、格差の大きい社会こそ効率的な社会だと信じるグループ、いわゆる勝ち組であり、もう1つは、繰り広げられる競争から知らぬ間に締め出されつつあることに気づかないまま、「自己責任」の言葉で負け組としての生活を強いられるグループである。
 どちらのグループからもひろがりつつある日本の「機会不平等」は目を背けられ、「封印」されている。』(引用終わり)
 勝ち組(嫌いな表現だが)、つまり上位階級に属する人々は、教育機会、就職機会、縁談や友人を得る機会、それら人生の様々な局面で多くの機会に恵まれることにより、上位階級の再生産が容易な構造にある。
 有名大学進学者の世帯収入は全世帯平均値を明らかに大きく上回っているし、東大の駐車場には高級車が溢れているとはよく云われることである。
 公立の小中高出身者に比較して、私立の中高一貫教育校出身者の有名大学進学率が高いことも、今や公然の秘密である。世界にも稀な平等社会を謳われた日本は、戦後60年を経過する内に、いつの間にやらハイソ階級を拡大再生産する社会に変貌しつつあるようだ。
 それに対して、好むと好まざるとに関わらず下位階級に生まれ落ちる人々は、初手からそれらの機会から排除されつつあるという。
セレブとマルビ(貧)はコミックの世界に於けるジョークなどではなく、現実のものとして我々の廻りにヒタヒタと忍び寄っているのである。
 結果の平等を追い求めることは、非効率な社会を招き寄せるもとであり、結果平等主義に与することはできない。しかし、機会の平等が保証されない社会は退廃と混乱を招くものとなる。
同時に自己の責任に帰することのない理由でやむをえず「著しい結果不平等」に陥った人々に対するセーフティネットが用意されていない社会もまたおぞましいものとなる。
 そして著者は云う。
この機会不平等について、上位組は気付かないふりをする人々であるという。
つまり、自分たちの恵まれた環境は、巧みに仕組まれた機会不平等によるものだという「後ろめたさ」に気付かないふりをするというのである。
 さらに具合の悪いことは、下位組がこの仕組みに気付こうとしないことである。某国の総理が好きな言葉に「自己責任」「自助努力」「規制緩和」そして「自由競争」というものがある。これらのワンフレーズポリテックスに踊らされているのは、実は下位組なのであり、上位組は窃かにほくそ笑んでいる。
※窃かに・・ヒソカニ
※密にと表現するよりも、秘かにと表現するよりも、実態を表している。
 考えてみれば、当たり前のことであり、教育機会に恵まれず、就職機会に恵まれず、日々の糧を得るのに汲々として過ごしていれば、巧妙にしつらえられた階級化の罠に気付く暇も知恵も無かろうと思う。
 少しばかり政治的に云えば、労働者が持ち家政策でプチブルのイルージョンに浸っているうちに、労組は弱体化を通り越して実体を持ち得なくなってしまった。学生とても階級化が進んだ結果、過去の出身多様性を失い、上位組優位の社会に対する批判の眼を持てなくなってしまったといえる。
 そして「封印される不平等」を「開封する勢力」が見あたらなくなったのである。
「封印される不平等」
著者名 : 橘木 俊詔【編著】 苅谷 剛彦 斎藤 貴男
出版社名 : 東洋経済新報社
出版年月 : 2004年 07月 出版
ISBNコード : 4492222510 税込価格 : \1890
 そんな気ブセリを何で晴らせばよいのだろうかと考えていたら。
「誰だってズルしたい」という本に出会った。
つまびらかに解説すると、手に取ったときに新鮮味がないから、
まずはお読み下さい。しばらくは笑えます。
『同じく惹句より』
見るもの聞くもの、腹の立つことばかり
世の中はズルの壁でできている
セコズル、オバズルが幅をきかす。(引用終わり)
「誰だってズルしたい」
著者名 : 東海林 さだお【著】  
出版社名 : 文芸春秋
出版年月 : 2004年 11月 出版
ISBNコード : 4163664203 税込価格 : \1150
 この本を、ザット読み通したら、衆議院政倫審で橋本元総理が、
「日歯連」との会合には出席したようだし、一億円はもらったようだ。
  と弁明したと聞いた。
 どうにも理解できないし、信じられない話である。
茫猿などは一億円なんて大金は見たこともないが、
もし小切手であっても我が手にしたら、ゼロの桁を何度も数えて、
手が震えるだろうし、その晩は寝られないだろうに。
こういうのを「ハシ・ズル」と云うのだろうか。
それに口を拭っている自民党は「ジミン・ズル」だろうし、
追及の手がユルユルな民主党は「ミン・ズル」いや「ズル・ミン」だろうか。

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