島、次男、氷見

瀬戸内の離島で三年前から農業見習いを続けている次男が先月末に帰省した。耕作放棄された島の棚田を一町歩も復旧耕作しているから、水管理をはじめとして三十枚近くの田圃の見回りが毎日欠かせないので、旧盆にも帰ることができなかったが、ようやくに稲田も安定し時間が取れたことから祖父母に半年ぶりの日焼けした顔を見せに来たというわけである。


親に似て、旨いもの好き、車好き、鉄道好きの次男のために、ハイブリッド・シビックを駆って、再度東海北陸自動車道を氷見に向かったという訳である。 次男のためと云いながら、その内実は氷見の鮨でお酒が飲めるという茫猿の下心満載なのである。
東北道を一路北へ向かうのであるが、前回は通過した五箇山合掌集落に立ち寄る。合掌集落と云えば岐阜県白川村が有名であるが、東北道飛騨トンネルを抜けた富山県側にも五箇山合掌集落がある。 なかでも菅沼集落はこじんまりと、まだまだ俗化の色浅く雑踏にまみれることなく、のどかな雰囲気を残している。

さて、次男の運転で氷見に着き、念願のお酒付きお鮨をいただいたのであるが、そのことは後回しにして、富山のライトレールの話である。富山駅と富山港を結んでいたJRの廃線をコミュニティレールとして復活させたものであり、今やコンパクトシテイ造りの中核であり、路面電車復権のシンボルとも成っている三セク・ローカル鉄道である。
富山北口駅に入構してきた電車である。ホームと車内床がフラットなバリアフリーであり、騒音や揺れも少ない優しい電車である。丸みのあるデザインも穏やかである。直角の交差点カーブも優雅に廻るために、一台のワンマンカーでありながら中央部に蛇腹連接部を設けた2車体2台車連接車である。


JR時代の木造駅舎が待合室として残されている東岩瀬駅である。ライトレールの終点岩瀬浜駅から北前船の街並みを散策して東岩瀬駅に戻るのである。

運転席から見る城川原駅-越中中島駅間の車窓風景である。この写真では穏やかな田園風景であるが、沿線の大半は住宅地域である。

富山駅南口から発している路面電車富山地方鉄道である。

さて、富山ライトレールの終点は富山港に近い岩瀬浜駅である。岩瀬浜は往事北前回線問屋の並ぶ町であった。今もその面影が街並みに残っているし、富山ライトレールと残される回線問屋を起点にして町興しも図られている。写真は回線問屋森家と街並みである。

その向かい側に位置する竹障子の涼しげな民家である。

今も盛業中の造り酒屋。

最近新築したとおぼしい民家である。 一文字瓦葺、銅製樋、格子窓など、どう安く見ても一般住宅の倍以上の建築費が投ぜられたであろう造作である。

町屋風に改築されている銀行。

回線問屋森家の囲炉裏端に憩う観光客。

同じく森家の蔵の扉に施されたみごとな鏝絵。

岩瀬浜の街並みにある小公園、北前船の像が鎮座する。

港タワーから見る富山港の風景。ロシア船籍の錆びだらけの船の前は輸出用中古車と屑鉄である。自動車はエンジンや部品が解体されていて、中古車と言うよりは自動車部品と化している。

『鄙からの発信』定番の蓋である。

さて、語るのを後回しにした「氷見の鮨」であるが、東北道、能登道を経由して終点氷見で降りたあと、真っ直ぐに前回訪れた橘鮨に向かったのであるが、昼は準備中であった。幾つかのお店を探したが、いずれも昼時間帯は休業である。よくよく考えてみれば、前回氷見を訪れたのは夕方近くであった。小さな町で昼から鮨屋さんが営業していると考える方が間違っているのである。
そこで、回転でも旨いという氷見の回転寿司に向かおうかと考えたのであるが、次男がちょっと待てと云う。彼は携帯電話ナビを駆使して何軒かの鮨屋さんに電話を入れ始めたのである。なかで、彼が選んだのは、「うちは昼営業しています。」と云い、ナビ・コメントでは「ちょっと変わっている親爺」というお店である。
店の名を「蛇の目寿し」という。氷見市中央町にある。お店の名刺代わりの豆パンフレットに曰わく「氷見漁港でその日とれた新鮮な魚貝類の中から厳選したネタのみを使った自慢のにぎりです。 時化の時は臨時休業しますので、遠方の方はお電話にてご確認下さい。」
なんとまあぁである。中央町アーケード街の中程にご夫婦で営業するお店である。店構えや設えその他に取り立てて云うほどのことはない。でも、お店に入って驚いた。全ての握りネタが調理済みなのである。普通の寿司屋は注文してから切り落としに掛かるものである。魚というものは小さく切れば切るほど鮮度が落ちるのが早いのである。調理済みと云うことは、今日のネタは今日中いや昼中に使い切ると云うことである。大将曰わく、昼も営業するのはネタが無くなり次第に閉店するからです。夜だって早ければ八時に閉店しますという。まさに、いにしえのファーストフード・鮨の面目躍如である。
ヒラメ、コハダ(新子)、カジキマグロトロ、アオリイカ(新子)、ヒラマサなどなど、一人前十貫、全部地物である。イナダを注文したら、「うちは使わない」という。白エビを注文したら、「白エビは盆まで」という。 頑固な物言いだけれど嫌味がない。
最高に驚いたのは、最後にみそ汁を注文したのであるが、その味噌汁の具に眼を丸くした。名前は聞き忘れたが鯖フグの新子、カワハギの新子、いずれも親指ほどの大きさの白身魚が綺麗に調理されて汁の具として六匹か七匹入っている。アラを使った汁が普通であるのに、汁用の具を丁寧に調理している。蛇の目寿し親爺の真骨頂である。

 最後に親爺の一言
「魚というものは臭くありません。臭いと云うことは腐敗が始まっているのです。」 まったく、どのネタも臭味は全くなかった。恐るべし、氷見の蛇の目寿しである。 一人前十貫:2500円である。当日息子と三人で腹が痛くなるくらい一杯いただいて、12000円である。 行くべし氷見の蛇の目寿し。

時季はずれだから出さないと云われた白エビであるが、やはり心に残るのである。そこで、夕飯は富山市内・五万石に向かい、白エビのかき揚げと唐揚げをいただいた。これもとても旨かったのである。かき上げと唐揚げを肴に頂いた富山の焼酎ゴッドファーザー・オンザロックもさらりと旨かった。 帰路は次男の運転で茫猿が熟睡したのは言うまでもない。

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