高田郁の「八朔の雪」を一息に読み終えてから、彼女の他の二作「出世花」と「銀二貫」も読みたくなって、岐阜市内の書店をはしごした挙げ句、銀二貫だけを書棚の隅で見つけました。
惹句に偽り無し、この書も一気に読み終えました。
大坂天満の寒天問屋和助は、仇討ちで父を亡くした鶴之輔を銀二貫で救う。人はこれほど優しく、強くなれるのか?一つの味と一つの恋を追い求めた若者の運命は?時代小説の新星・感涙の書き下ろし。
読後感はとても爽やかです。近頃は涙腺が弱くなったせいか、度重なる災いに負けずに、受けた恩義を忘れずに、一つことを追い求めてゆく若者の生き方が眩しいくらいに輝いている物語です。
難をいえば、物語の筋を追いすぎている感じがしないでもありません。 もう少し書き込んでもよいのにと思える箇所が幾つかあります。 それでも、背景の大阪の町も、素材の心太(トコロテン)も寒天も、それらにまつわる料理や菓子の話もよく書き込んであります。 八朔の雪とも併せて振り返れば、高田郁という作家の素養の深さを知らされる物語です。
この物語には、二つの主題があります。 一つは、銀二貫(金で云えば約三十三両)の使われ方です。 丁稚松吉の主(あるじ)和助は、一度ならず三度まで銀二貫が、その銭を貯めた目的(天満天神への寄進)とは違うことに使います。 しかし、銀二貫は当初の目的と違う使われ方をしますが、その都度、(使われた結果が現れるまで長い時間を要する場合もありますが)、見事に生きた使い方となります。 まさに生き金になるのです。天神さんの計らいとでもいえる生き金になるのです。
もう一つの主題は、丁稚松吉が長いこと苦労して、寒天の持つ可能性を広げたい一心で新しい菓子(練り羊羹)を創り上げますが、彼はその製法を独占することなく広く伝えます。その結果、糸寒天の売り上げが大きく伸びて、主人和助の店は大店へと伸びてゆきます。
いわば、製法特許を公開したり、プログラムリソースを公開するに似ています。小さな商いの伸び縮みに拘ることなく、もっと大きな商いを目指すというか裾野を拡げようとするに似ていると思われます。
蛇足かもしれませんが、江戸時代を通じて金本位制(両)であった江戸に対して、銀本位制(貫目)の大阪という対比、江戸の浅草寺や神田明神に対して、大阪の天満天神という寺社が町民の意識に占める位置も考えながら読めばに、興も深くなることでしょう。
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