「そうかもしれない 耕 治人(コウ ハルト)・命終三部作」
耕治人(1906-1988)、明治39年に生まれ、昭和とともに亡くなった作家である。不明にしてこのような作家がいたことを知らなかった。でも、バブル全盛のこの國にこのような作家と彼をささえる人々が居たことを、そして没後17年を経て武蔵野書房から命終三部作が出版されたことを、命終三部作を素材にして雪村いずみ、桂春團治主演で映画「そうかもしれない」が制作されたことを知ると、まだまだ捨てたものではないと思えてくる。
「そうかもしれない 耕治人・命終三部作・武蔵野書房」
映画「そうかもしれない」(桂春団治、雪村いずみ)2006.9
この私小説作家の存在は知らなかったし、映画も見逃した。書店でふと手にした「老いるということ:黒井千次著」に紹介してあったのとがきっかけで「そうかもしれない 耕治人・命終三部作」を知り、通販で購入して読むという出会いを得たのである。しずかにひそやかに何度も読み返したい本だし、何度も読み返すのであろう。
ここで読後感などを訳知り顔で記す必要はなかろうと思う。リンク先の映画評やら引用する書籍帯評を読んでくれればいい。
「そうかもしれない 耕治人・命終三部作(2006.11.20初版)
・一條の光 1967年:61歳
・天井から降る哀しい音 1986年:80歳
・どんなご縁で 1987年:81歳【この年、夫人が特養老人ホーム入所】
・そうかもしれない 1988年:82歳【この年、舌癌にて死去】
書籍におさめられている著作は勿論のこと、年譜や発行者・福田信夫氏が記すあとがきから佳い読後感が得られるとは限りません。苦い思いや厳しい想いに胸が塞がれるかもしれません。でも本田秋五氏が紹介するように、余分な修飾が削ぎ落とされた無駄のない研ぎ澄まされた文章は、つまらない感傷よりも生きることの真実を、ある種爽やかに示してくれます。
妻が呆けて老人ホームに入り、自分は舌ガンで入院する。面会も見舞いもままならない日々、子供もなく夫婦は生き別れ状態を余儀なくされる。八十代に辿り着いた老いの歳月は悲傷の果実ともいうべきものであった。その苦さや酸味もまた老いの味わいの一つに数えねばならぬ。
『黒井千次著:老いると云うこと より引用』
制作に没頭することが病苦を忘れる最上の方法であったのかも知れない。もはやそこには見栄も外聞も、恐怖や気兼ねもなくなって、かつてなかったほど頭が澄み渡り、見たまま思い浮かぶままを書きつづれば、それがそのまま簡素で壮烈な表現になった。孤独と貧窮のなかで難病に苦しんだ作家は、そのとき不思議にも罪と穢れから浄化されて、天に昇って消えない星になった。
『そうかもしれない 耕治人・命終三部作」 武蔵野書房06.11.20初版第一刷発行の帯評・本田秋五より抜粋引用』
家内の腰から脚の爪先まで拭きはじめた。家内はその私をみていたが、「どんなご縁で、あなたにこんなことを」と呟いた。私はハッとした。『どんなご縁で より 抜粋引用』
「止揚学園」にしても、「耕治人」にしても、茫猿独りよがりの想いを他人様に押しつけようとするものではございませんが、「少しだけ、少しでも」と思うことから、思い続けることから何かが生まれはしないかと、何かが伝えられはしないかと、そんな風に思い書き綴るこの頃です。
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