火怨

 我々が教科書や史書などを通じて知る歴史は、そのほとんど総てが勝者の歴史である。 敗者の歴史が記され語り継がれることは無いといってよかろう。 近代であっても、戦はもちろん様々な争い事であっても、敗者について敗者の側から語られることは少ない、第一、敗れた側の記録そのものが失われていることが多い。
 まして、勝者が敗者の総てを抹殺することが当たり前だった近代以前の歴史が、今に残されているのは勝者の歴史であり勝者側が残した記録である。 敗者の正統性もそのつまびらかな存在も語り継がれることはない。 上古の時代に記録されている熊襲征伐、蝦夷征伐、あるいは出雲の国譲り神話などもそれらの一つであろう。 熊襲、蝦夷という呼称からして、中華意識から周辺民族につい、東夷・南蛮・西戎・北狄と呼んだ中国古代の蔑称(悪字)の流れをくむ表現である。 邪馬台国、卑弥呼、倭奴、匈奴、蒙古などもその手の悪字呼称の一種である。


 ちなみに”倭”をいくつかの漢和辞典で調べると、「従順なこと、すなおなさま、慎むこと」などとある。昔、中国で日本を呼んだ名であり、委(ゆだねる、すてる)に人を加えた会意形声文字ともある。
 歴史観というものに関わるから、これ以上を述べるのは避けるが、世に司馬史観とか藤沢史観などと云われるものも、そういった背景を抜きにしては語れないと考える。 そのような意味で「高橋克彦」の著作「火怨」や「炎立つ」に注目するのである。 彼は様々な顔を持っている作家だが、高橋自身が岩手県釜石市生まれということが大きく影響しているのであろうが、彼の描く東北というよりは陸奥古代中世史に心惹かれる。
 高橋作品の”火怨”そして”炎立つ”は、都を遠く離れ、冬は雪深く鉛色の空に閉ざされる陸奥の地に中世前期花開いた平泉の藤原三代、さらにその前史を敗者の側から描く作品である。 「坂上田村麿」に敗れ歴史の表から消えた「阿弖流為(アテルイ)」を描いた”火怨”、そして「源頼義・義朝親子」に敗れた「安部貞任・藤原経清」の前九年・後三年の役から源頼朝による奥州藤原氏の滅亡までを描く”炎立つ”である。

 坂上田村麿について広辞苑はこのように記している。
 「平安初期の武人。征夷大将軍となり、蝦夷征伐に大功があった。正三位大納言に昇る。また、京都の清水寺を建立。」

 田村麿は797年に陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍に加えて征夷大将軍に任じられ、戦を指揮する官職のすべてをあわせ得たのち、801年に陸奥遠征に出て勝利を収め、蝦夷を討伏した。 降伏した蝦夷(俘囚)の阿弖流為等を引き連れて京都に凱旋した田村麿は、彼らを許すことを主張したが、都の貴族は彼等を処刑し晒し首としたという。
 阿弖流為について、広辞苑は一文字も割いてはいない。 歴史教科書のなかで坂上田村麿は蝦夷の反乱を征伐した武将とは習ったが、阿弖流為についてはその名も教えられてはいない。 史書で知る限り、阿弖流為も安部貞任も京都はおろか多賀城以南に兵を出したことすらない。 ただひたすら当時の京都政権が奥州征伐(今風にいえば侵略)を行ったに過ぎない。 別の表現をすれば京都政権に従わない周辺地域(民族ともいえよう)を征服しようとしたに過ぎなく、それは京都王朝側からいえる論理でしかない。
 これはアイヌ民族について、つい先頃まで存在した北海道旧土人保護法にも通じる論理である。 また琉球処分なども類似の論理であり、先住民族に対する中央政権の考え方は、そこに使用される文字が如実に物語っているといえよう。
 高橋克彦の著す”火怨”そして”炎立つ”も彼の創作である。 今に残る史書は阿弖流為や安部貞任について僅かな記録や伝承しか残していない。 それでも都を遠く離れた奥州平泉に藤原三代の栄華が忽然として現れるわけもないし、津軽半島の十三湊が中世において栄えた大陸との交易港だったことも、発掘された遺跡などから確かなことと認められつつある。 三内丸山遺跡までさかのぼらなくとも、陸奥には陸奥の確たる歴史が存在したといえるのである。 だいたいが陸奥という国名にしてからが、京都から見て陸の奥、すなわち地の涯という意味なのである。
 知られざる歴史というよりも、今に残された歴史は勝者の側から記されたものであり、歴史を正しく、俯瞰的に眺めようとすれば、語られることの少ない敗者(被征服者)の視点から問い直すことが大切だと思われる。 それは歴史観だけに限らないであろう。 それほどに大仰なことを云わなくとも、「火怨」も「炎立つ」も雄壮な小説である。 縄文文化に連なる陸奥の男達の哀しいまでに涼やかな生き方を描いてくれる物語である。

「高橋 克彦(1947年8月6日生)」
岩手県釜石市生まれ盛岡市在住、大学卒業後浮世絵の研究者となり、久慈市のアレン短期大学専任講師となる。1983年に『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞を受賞する。「炎立つ」「火怨」などの歴史小説のほか、ホラー、ミステリー、時代小説など、幅広いジャンルで活躍する作家。

 珍しく辺境の興亡をテーマとした93年のNHK大河ドラマは前半が「琉球の風」、後半が「炎立つ」だった。 「炎立つ」で藤原経清を演じたのが若き日の渡辺兼である。
 藤沢史観という表現をしてみたが、藤沢周平は山形県庄内地方の出身である。 市井ものや下級武士を描いた時代小説作家であるが、同時に歴史小説も書いている。 「回天の門:清河八郎」、「檻車墨河を渡る:雲井龍雄」、「密謀:直江兼続」、「漆の実のみのる国:上杉鷹山」などである。 それらは勝者の栄光事跡を描くのではなく、志ならずして消えていった者達を彼等の目線から描いていると思っている。
 昨夜の「爆笑問題:太田光総理」は「普天間基地移転問題」を取り上げていた。 基地の県外移転、国外移転という問題であるが、地政学とか安全保障とか、東アジアの安定とか日米問題といった俯瞰的前提の前に、「沖縄に米軍基地を集中し、沖縄の人々に犠牲を強いている。 しかも戦中から戦後にかけて70年以上もそんな状況が続いている。」ことについて、130万沖縄県民に対して日本人13,000万人はどのようにして応えるのかという視点こそが問われていると考える。

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火怨 への1件のフィードバック

  1. T.T のコメント:

    筋の通った骨のある内容の記事に久しぶりに会いました。
    こうした文章を書き続けて欲しい。

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