「心から」、「心より」、 新聞広告にもTV CMにもサイトにも心が溢れている。
氾濫している「心から」が虚しく響いてくるのは、なぜだろう。
東北地方太平洋沖大震災の被災者へお見舞いの言葉が溢れているのに、被災者には届いていない。 被災現地ではテレビも新聞も届いていない。ラジオも僅かだろう、インターネットは壊滅状態だろう。心は被災地の手前で漂っているのであろう。
2011.03.11を境にして、沈黙するサイト、寡黙なサイト、饒舌になったサイト、様々である。それらが、いずれも漂っているだけで、届いていない。 かねてから茫猿が注目していた被災地の幾つかのサイトは、3/11以来、沈黙したままである。 自身が被災されたのか、支援に多忙を極めているのか、状況は皆目伝わってこない。 遠くから、ただただ心配していることしかできない。(農家の嫁とは、この方のことです。) 《3.22 無事を報せる更新あり。よかった。》
今日は春分の日である。こちらは春の陽ざしが日毎に濃く感じられるというに、被災地ではまだ冬のさなかである。 言葉は氾濫しているのに、伝わっていないもどかしさを感じる。 何を言っても伝わらない、言葉では伝えられない無力さを感じてしまうのである。 言葉を超えるものは言葉では伝わらない。 そんな思考すら言葉で成り立っているし、言葉がなければ何も伝えられない。 この絶対的矛盾の前で、人は沈黙するか、寡黙になるか、饒舌になるのか、様々である。
何よりも、この記事そのものが矛盾なのである。 矛盾を承知の上での饒舌とは、一体全体なにものなのであろうかと、問うても答えは見つからない。
しばらくすれば、たぶん五月の連休の頃を境にして、道路・鉄道・航空・海運の輸送は復旧し、現地の瓦礫も除去が進むであろうし、避難されている人々も落ち着きを取り戻すであろう。 でもその後が気懸かりである。 復旧は電力消費量を増すだろうし、近づく夏も消費電力を増やすだろう。 確かな対応ができるのであろうか、決定的な策が見つからないとしても、対応はしなければならないであろう。
小康状態を維持している福島原発の今後が気懸かりである。福島原発の復旧は到底望ず廃炉となるであろう、新たな開発を進めるとしても当座の用には間に合いそうもない。 何より原発依存を、マグニチュード「9」を所与としてそのまま進めるのか、太陽熱、潮力、地熱、バイオなどに分散して多様化を進めるのか、いずれにしてもこの数年あるいは十年近くは、様々な議論が展開されるのであろう。 そしていつものように、非力な理想論と抗しがたい現実論とが、虚しく噛み合わない論争を繰り広げるのであろう。
日本と日本人は試されていると思えてならない。「百年の計」のために、「この十年」をどのように過ごすのか、過ごせばよいのか、試されていると思う。 そしてそれは、今いる我々のことだけでは無くて、百年後に日本に住む人たちのことを、我々以上にどのように考えるのかということなのだと思う。 この二十年近く、虚しい議論を続けてきた年金問題と同じことであろう。
今、見ておきたいサイトがある。原発と地震に関して、マスコミに流れている解説報道とは、ずいぶんと異なる視点からの解説が提供されている。 異なる視点と云うよりも、マスコミでは語られなかった視点と言った方が良いのであろう。
「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」(2005.02.03) (石橋克彦神戸大教授)
「原発の耐震安全性」(2002.06.05)(茂木清夫前地震予知連会長)
「福島第一原発で何が起きているのか」(2011.03.15)(大前研一氏)
「原子力資料情報室」のサイト
「ストップ浜岡原発」浜岡原発・巨大地震対策・虹のネットワーク
「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ 」(2007.07.24)(日本共産党福島県委員会)
【09:40 追記】
言葉というものは不思議である。気安くお手軽に使えば使うほど、手あかにまみれ陳腐化してゆく、「心から」がそうなったし、「未曾有」も同じことである。 使うひとの品性が言葉遣いに表れるのだろう。 プロトコル化した慣用句というものがあるのは理解しているが、慣用句とか決まり文句というものは所詮それだけのこと、「こころ」を伝えることはできないのであろう。
到頭というか今になってというべきか、総理は総裁に電話会談で大連立を持ちかけ、あっさりと袖にされてしまった。 言葉の軽さは行動の軽さも現しているようだ。 相変わらずまわりくどい表現が多いものの官房長官はよく頑張っていると思う。 いっとき、丁寧語の多さが鼻についたが、それも薄れてきた。あとは回りくどい意味不明な表現が消えることを期待したい。「寸鉄ひとを刺す」と云うではないか。
【20:00 追記】
しばらく沈黙していた、三上勝生氏が発信を回復した。 何も付け加えない、読んで頂きたいだけである。
「人間の顔」(2011.03.19)
「現状認識のために」(2011.03.20)
「現状認識のために2」(2011.03.20)
「付け足し」週刊ポスト2011.04.01号 買うも良し、買わぬも良し、見出しは語る・・・・・・。
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トラックバックありがとうございます。3月11日からずっと可能なかぎりただひたすら被災地と被災した方々の様子を見続け、そこから届く声に耳を傾け、何かを感じつづけています。一体何が起こってしまったのか。何かとてつもないことが起こってしまった。そんな思いがどんどん強く深くなっていきました。復興に向けての支援という意味で具体的にできることはするだけです。ですが、それだけでは済まない事がとうとう起こってしまったような気がしてなりません。つまり、復興の中身が今までとは全く違うものになる、ならなければいけない。そんな予感がします。その一種の危機感と不安そのものから目を逸らさずいるだけで精一杯でした。
災害のあまりの大きさに、異なる災害の重なりに、三年前二年前、つい今月の初めに訪れた町や村のたたずまいを思うとき、言葉の無力さを感じております。
「復興の中身が今までとは全く違うものになる、ならなければいけない。」三上様の仰せのとおりだと思います。戦後の復興期とも、神戸や中越の復興とも異なる、新しい、云えば次元の異なる、復興と云うよりも次の百年を見据えた構築をしなければならないと感じております。
日本共産党福島県委員会等の「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」を読んですぐ、福島原発で作業員3人が被曝したニュースが流れました。そこで、私の妻が以前言っていたことを思い出しました。
私の妻の親戚に元東京電力社員がいます。2年間東海村の原発に勤務したそうです。
妻が昔聞いた話では、「原発では電力会社の社員が作業することはなく、実際作業するのはすべて下請け、孫請けという話です。
今回の事故で、それはありえる話だと納得させられたような気分です。
すべてのことは「原発は安全」という前提のもとに組み立てられ、組織内ではその前提を疑うことは悪だったのでしょう。「管理」に関するすべてのことが、「事務化」
「儀式化」していたのだと思います。残念です。