しばらく前のSNSでは、地価公示レビューで話題となった「地価公示の二者鑑定は、なぜ必要か?」というテーマのスレッドが建てられていた。 地価公示の二者鑑定が「あり方検討会」で問題になるとすれば、鑑定士側からも然るべき擁護論が必要だろうという視座からの問題提起であった。
一、地価公示のあり方:二者鑑定
《不動産鑑定士Aは》 「複雑な不動産市場を分析するにあたり、単独判断では客観性や説得性を担保することが必ずしも十分ではなく、複数鑑定士による徹底的なディベートを尽くしたうえでの価格判定が求められる。」と述べる。
《不動産鑑定士Bは》 「地価公示法は、国民に影響を与える指標である以上、「独断ではなく」最低限でも2人の複眼で決定することを規定している。」と述べる。
この件に関して他には特に見るべき主張もなく論議は終結しました。 茫猿は既に地価公示をリタイアして三年になりますから、SNSでの発言は控えていましたが、地価公示法第二条に規定する二者鑑定の意義についてここで改めて考えてみたいのです。
※地価公示法第二条:二人以上の不動産鑑定士の鑑定評価を求め、その結果を審査し、必要な調整を行つて、正常な価格を判定する。 (1969年施行)
二者鑑定の存在意義を考える時に先ず最初に考えたいのは、地価公示法が制定された1969年当時と現在とでは、鑑定評価がおかれた業務環境が大きく違うことを考えなければならない。
当時はPCはおろか、電卓すらとても高価で大型であった。 事例は自分の足で探し、評価書は算盤で計算し手書きで作成する、もちろん分科会に共通する比準表ツールも存在していない。 不動産鑑定制度創設後まもなく、鑑定士の自主自尊性も現在とは様相がずいぶんと異なっていた。 A・B二者の評価結果に開差・誤差が生じるのは日常茶飯事であり、その開差を調整することが必要でした。単独の評価では評価結果が一方に偏する危険性が考慮されたのも当然のことであった。
1970年代と比較して現在は、デジタル化が進みパソコン利用は必須となり、事例作成は悉皆調査を基礎とする協働作業、AB二者は共用する取引事例を基礎に、地域格差補正は共通の土地価格比準表を用いてパソコンで計算しますから、A鑑定士とB鑑定士の試算結果のあいだに誤差も開差も生じる余地は殆どありません。 独自の見方をしたとしても、分科会集団討議のなかで咀嚼されこなされてゆきます。
比準表を用いた20~50の試算結果から採用事例を選択すれば、比準価格はほぼ近似します。 収益価格の試算工程にしても類似の工程を経ます。 その結果として、AB二者の試算結果に開差が生じても僅かです。 《以上の工程を経ないメモ価格段階での開差は、別次元の話です。》 それに加えて、分科会集団討議に供される価格関連資料も段違いに豊富かつ詳細になっています。 これもデジタル化の進展効果と云えましょう。
こんなふうに考えることは出来ないでしょうか?
他者の事情補正や配分法に依存した事例を使い、他者が作成する比準表を使って、独自の試算結果を得るということは、随分と努力を要します。 例えば、他者作成の事例について、その事情補正や配分法について異議・異論を記載しなければなりません。 比準表の数値についても同様です。 数値以前の問題として、比準項目や比準ウエイトに異論を感じても、独自の比準表作成はできません。 独自の比準項目を設定しようとすれば、事例の属性調査から始めなければならないが、そもそもそのような評価主体による比準項目改定は想定されていない。
デジタル化の進展は、一見すると精緻化の進展のように見えますが、その一方でマニュアル化が進み、ルーティンワーク化を進めます。 つまり(不動産鑑定士なら)誰がやっても同じことという結果も招くのです。 放っておきますと、鑑定評価から鑑定が抜け落ちてゆく過程でもあるのです。
話が少しそれますが、新スキーム問題で、多くの鑑定士が四次データを偏重する姿勢が理解できないのです。 何故、取引時点のより新しい三次データからスタートしないのか、何故、他者の作成した事例を有り難がるのか理解できないのです。 自分の視点で配分法を適用し、事情補正を施し、自らが作成した比準表を使わないのか《補正要因の格差判定数値だけでなく、補正要因項目の入れ替えや追加も含めて》、茫猿には理解できません。
二者鑑定の存在意義が問われているのは、半世紀にちかい時間の経過に伴う一つの帰結であり、デジタル化に潜む「諸刃の剣」性を糺す過程であり、鑑定評価に鑑定を取り戻す過程でもあると考えられないだろうか。 今の地価公示の作業工程が、真の意味で二者鑑定に相応しいか否かが問い直されていると考えるのである。
このような状況で二者鑑定を持続するためには、抜本的な改善が必要なのだろうと考えられるが、同時にそれはとても難しいことでもあろうとも思われる。 東京や大阪などを除けば、数十名から百名前後の鑑定士が十数名の分科会を構成して七月から一月に及ぶ協働作業を続けるという地価公示の業務日程からすれば、協調性がなにより求められ、それは結果として体制順応主義や事勿れ主義に陥りかねない危険性も潜む。 東京や大阪にしても、公示に従事する鑑定士は数百名前後であり、区部と都下、府下を分けてみれば、道県とそんなに大きな差はありません。 いわば、「地価公示村」と揶揄されても仕方ない状況が存在しています。
結論的に云えば、デジタル化が大きく進んだ現在の地価公示業務の進め方が問われているのだと考えます。 別の表現をすれば、評価業務のうち、デジタル化できない部分について、力を尽くすと云うことではないでしょうか。
例えば、担当地点のうち数地点について、採用事例の取引背景にまで踏み込んだ詳細レポート、あるいは地域の変動の有無についてのレポートなどなど、紋切り型定型書式の評価書から離れた、論述型評価書の作成を求めるということも検討の余地有りと考える。 マニュアル化、ルーティンワーク化した地価公示から脱却し、共通一次試験型に変化してしまった地価公示評価書に論述レポートを求めるというようには考えられないだろうか。
この種のレポートを提出されても読む方は大変でしょうが、業務委託者がレポートを読むということよりも、そのレポートを開示することによる副次効果が期待できるのではないだろうか。 鑑定士それぞれが魅力ある個性を育て魅力ある評価書を作成することができれば、二者鑑定の存在意義は増すのであろうと考える。 地価公示の評価書の開示はもとより、前述の附随リポートも開示することにより社会に対する説明責任を果たし得ると考えたいのである。
また、デジタル化をさらに進めるという方向も検討されるべきでしょう。 例えば、土地価格比準表は共通共有しないで、評価員が個々に独自なものを作成させて、その提出を求めるとか、地理情報を活用した成果物を提出させるということも考えられる。 ただしデジタル化は、直ぐに類似・同工(巧)異曲のものになってしまうことであろうが。
二、地価公示のあり方:公的土地評価のなかの地価公示
地価公示のあり方という観点からは、もう一点見逃せないことがある。 それは地価公示と固定資産税土地評価との関係である。 不動産鑑定士の固定資産税評価・担当市区町村は長年継続して担当することが多く、同時に保守的傾向の強い市区町村担当者の意向も反映しやすい傾向が否めないのである。 直接、納税者と向き合う市区町村担当者から、その意向を常に聞かされる鑑定士の立場も、少なからず理解できることではある。 しかし、固評との整合性を意識するあまりに固評が主、公示を従とするような評価員の立場を肯定することはできないが、現実の問題として固評に向き合う彼等の状況を理解できないわけでもない。
※地価公示法第一条(目的)(1969年施行)
この法律は、都市及びその周辺の地域等において、標準地を選定し、その正常な価格を公示することにより、一般の土地の取引価格に対して指標を与え、及び公共の利益となる事業の用に供する土地に対する適正な補償金の額の算定等に資し、もつて適正な地価の形成に寄与することを目的とする。
※土地基本法第十六条(公的土地評価の適正化等)(1989年施行)
国は、適正な地価の形成及び課税の適正化に資するため、土地の正常な価格を公示するとともに、公的土地評価について相互の均衡と適正化が図られるように努めるものとする。
地価公示のあり方は、地価公示のみに止まるものではなく、公的土地評価(地価公示、地価調査、相続税土地評価、固定資産税土地評価)全般のあり方並びに相互均衡に及ぶものである。 さらには不動産鑑定評価全般にわたる影響をもたらすものである。 というよりも、不動産鑑定評価のあり方が問い直されていると考えるべきであろう。
三、不動産鑑定評価のあり方
※不動産の鑑定評価に関する法律(1964年施行)
第一条(目的) この法律は、不動産の鑑定評価に関し、不動産鑑定士及び不動産鑑定業について必要な事項を定め、もつて土地等の適正な価格の形成に資することを目的とする。
※不動産鑑定評価基準第一章第三節
不動産の鑑定評価とは、この社会における一連の価格秩序のなかで、対象不動産の価格の占める適正なあり所を指摘することであるから、その社会的公共的意義は極めて大きいといわなければならない。
地価公示法も土地基本法も不動産鑑定法も不動産鑑定評価基準も、その目的は『適正な価格の形成に資する』ことにあり、その社会的公共的意義は極めて大きいと述べているのである。 不動産鑑定士は法第六条により守秘義務を課せられている。 その守秘義務を盾にして、不動産鑑定評価書は依頼者と受託者の両当事者間の密室のなかに秘匿されるのが通例である。
しかし、鑑定士に課せられる守秘義務は鑑定評価依頼者には課せられていないのである。 鑑定評価に関わるステークホルダー(利害関係者)が多岐にわたる公的土地評価関連の評価書、公共用地関連の評価書、上場企業関連の評価書などは開示されて然るべきなのである。 もちろん、事業遂行に影響を及ぼす場合もあろうから、直ちに開示とはゆかなくとも半年後一年後には開示されるべきなのである。 開示されるということが、より適正な価格のありどころを指摘することにつながり、ひいては適正な価格形成に資することとなるのであろう。 それこそが、不動産鑑定評価の公益性ということになり、社会の信頼性を得るではなかろうか。
茫猿が「Rea Review 制度創設」を提唱する所以はまさにそこにある。 須く不動産鑑定評価書は開示されるべきなのである。(相続承継や事業承継など、保護されるべき個人情報に関連する評価が除かれることは当然である。) 同じ主旨から、取引事例も遍く開示されるべきであり、豊富な事例資料に基づく鑑定評価であってこそ、自ずと良質な鑑定評価が得られる近道なのである。偏狭な資料の囲い込みや閲覧制限は、不動産鑑定評価の適正化を阻害するものであり、大きな間違いであると云わざるをえない。 そして開示という行為を経て公益性を果たすことが、社会の信頼を得ることにもつながると考えるのである。
チャールズ・ダーウィン提唱とも、ハーバート・スペンサー提唱とも云われる「強者が生存するのではなく、適者が生存する。」、「環境に適応し変化するものが生存する。」という説は、鑑定業界にも当てはまるのであり、時代や環境の変化とともに自らを変えてゆくことを怖れない組織のみが生き残ってゆくのであろうと考える。
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