もし、日本という国がなかったら

茫猿はいつの頃からか、沖縄・南九州と東北に深い愛着と尊敬をもっている。日本の原点が沖縄と東北には今も存在するように感じている。それは有史以前に縄文文化と弥生文化がせめぎあった倭国で、当時は辺境であり、熊襲とか蝦夷として扱われてきた南九州と東北の悲哀史を知ることでもあった。

熊襲、蝦夷というのは畿内から見た一方的な差別表現であり、現代の考古学や民俗学ではそれぞれの地域は各々が独自に海外と交流をもち、独自独特の文化圏を構成していたと推定されている。 茫猿は沖縄紀行や東北紀行について何度も記事にしているし、那覇の島唄酒場や今帰仁城(ナキジングスク)、弘前の津軽三味線酒場や弘前城は何度訪れても楽しく懐かしい処である。

そんな茫猿の琴線にふれる本に出会った。ロジャー・パルバース《Roger Pulvers》が著す「もし、日本という国がなかったら」である。この本は松岡正剛の千夜千冊で教えられたのである。“千夜千冊”にはしばらく立ち寄っていなかったが、パソコンをMacintoshに替えたのを機会にブラウザーのブックマークを整理したのだが、その時に開いた幾つかの頁から「もし、日本という国がなかったら」を知ったのである。51yI-7MicNL._SS500_

「もし、日本という国がなかったら」について詳しく知りたければ、発行元の集英社Blogから新刊案内記事があるし、書評としては松岡正剛の“千夜千冊”がある。この書籍のサワリについて読みたければ、集英社が公開するPDF「もし、日本という国がなかったら」約70頁がある。《松岡正剛の書評は、本書を読んだ後の解説として読んだ方が良いかもしれない。いずれにして、辛口で知られる正剛氏が本書を絶賛し共鳴しているのである。》

彼・ロジャーが2011年3月11日に、東京であの東日本大震災を経験したことから、「世界にも希有な、すばらしい日本の文化と日本人の精神性を日本人自身が見直すことで、失った活力と自信を取り戻してもらいたい」と考えたことも、2011/09にこの本を上梓した原動力の一つとなっている。

彼・ロジャーは日本を大きく分けて五つに分類する。東北、東京、京都、北九州、沖縄である。彼曰く、東北:類を見ない神秘性、東京:親子どんぶりのような「拝借文化」、京都やわらかく感性的な、女性の文化、北九州:韓国文化の美しい影響、沖縄:中国、ポリネシア、東南アジアの文化の名残、以上五つの圏域である。 この五つについては、集英社が公開するPDF「もし、日本という国がなかったら」の32頁以降で読むことができる。彼は沖縄・八重山の音楽について津軽三味線に通じるものあると書いている。

茫猿がこの著者について素晴らしいというよりも凄いと思わされたことは、膨大なフィールドワークである。外国籍の著者が著す日本論や日本人論は多いけれど、彼・ロジャーのように若いときから日本に住み、日本の各地を踏破した著者は茫猿の知る限りいない。いや、日本人でも彼に匹敵するフィールドワークを為した人は数少ないであろう。なんと、我がふるさと岐阜県の山奥・根尾谷にも現れて、薄墨桜も能郷猿楽も訪ねているのである。

宮沢賢治への傾倒ぶりは「宮ざわざわ賢治」と賢治を呼ぶほどだし、 井上ひさし氏との交流も深いし、大島渚監督の“戦場のメリークリスマス”では助監督を務めている。本の帯には坂本龍一が「彼のいう日本人の多様性に、ぼくは両手をあげて賛同する。」という惹句を寄せている。この本を読み進める最初のうちは、彼・ロジャーの一代記を読まされているように思うかもしれない。しかし、そうではないので、彼が23歳で初めて来日してから今日まで、多くの有名無名の人々との出会いを通じて、日本の多様性を語っているのである。 宮沢賢治、井上ひさし、大島渚、杉原千畝(長男・弘樹)、イッセー尾形などなどの人々との交流を語ることから、日本の様々な顔《面:オモテ》を語っている。

重ねて言おう。 坂本龍一が薦め、亡き井上ひさし、亡き大島渚から深い交流を得ていたというだけで、彼・ロジャーパルバースという方の信条や感性を信頼できると茫猿は考えている。さらに一読して、彼が伝えたい日本という国が持っている《いまや失われつつあるかもしれない》文化や多様性に深く共感するのである。

彼・ロジャーが、この本で伝えたいことは幾つかあるのだろうが、茫猿は日本及び日本人の多様性、政教分離を実際に行える文化、そして日本文化の《再構築ではなく》再生にふかく共感する。「一楽、二萩、三唐津」など聞いたことも無いという人たちにこそ、是非とも読んでほしい本である。 読了したあとには、この本から地方の再生も、里山資本主義も始まるのだと思えてくる。町興しや村興しそして島興しに携わっている人々に読んでほしいし、海外に移住しようと考えている人たちにも読んでほしい本である。

この美しくも思える書籍の紹介の末尾に無粋なことを付け加えても仕方ないとは思うけれど、彼・ロジャーのような感性を少しでも安倍晋三氏が持ち合わせていたらと思わされる。安倍氏がそんな感性をもち日本という国に誇りを感じていれば、《積極的平和主義》とか《集団的自衛権・解釈改憲》などと言い立てることが、とても恥ずかしいことだと気付くであろう。 その意味では、安倍晋三氏にいちばん読んでいただきたい本でもある。

 

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