ずいぶんと長く更新を怠っています。最近にはないことです。 旬を過ぎてしまった「鄙からの発信」なのであり、もうこのまま消えてもよいのではと時々考えています。それでも折々に立ち寄っていただける「古いお馴染みさん《とは言っても、何処のどなたかは存じ上げないのですが》」へ、お立ち寄りのお礼も申し上げねばとも思っているのです。
老いた父母を見送ってからは独り暮らしを続けていました鄙里も、このお盆はにぎやかに過ごしています。盆の入から処暑の頃まで、孫と嫁が滞在してくれていますので老夫婦二人だけの静かな日々は、孫の笑い声、泣き声、片言の声などが、いつもこだましている鄙里です。 まだ髭爺々《ヒゲジージ》と呼べない孫娘は私のことを「パパ」と呼びます。短い盆休暇を利用してやってきた息子のこともパパであり、私のこともパパなのです。
それでも私が外出着に着替えて、「お出かけしようか?」と声をかければ、開けたドアから車に乗り、おとなしくチャイルドシートに座り、シートベルトも嫌がりません。 孫と二人で近くのお千代保稲荷の参道商店街へ出かけて草餅や鬼饅頭を買い求め、長良川の広い河川敷で散歩する日々を楽しんでいます。 家人が、東京暮らしでペーパードライバーになっている嫁の運転練習を兼ねて買い物に出かければ、孫と爺は二人でお留守番を楽しんでいます。 母親がいないので幼心にも遠慮しているのか、我儘を言わずにおとなしく遊んでいる孫を見守っていると、少し不憫でもありますが、遊びながら私を振り返って笑みを見せてくれる孫になごまされて、とても穏やかで幸せな気分に包まれます。
孫と遊び暮らしているだけでなく、読書もしていますし、伸びた夏草の刈り取りや、旬を過ぎた夏野菜《トマト、胡瓜、瓜、ゴーヤ、茄子、十六ササゲ、二十日大根》の収穫もしています。昨日はこの秋初の里芋の収穫もしました。 収穫にはまだまだ早いのですが、大きく葉をのばした一株を掘り起こしてみましたら、小さな芋を幾つかつけていました。小芋はハンペンと煮込みましたら溶けるくらいに柔らかでした。親芋は今朝のみそ汁の具にします。
鄙里で私の次に早起きの孫娘を連れて、あぜ道の草を刈り取って歩きやすくなった屋敷畑のなかを、今朝は露を踏んで散歩しようかと考えています。いつのまにかアブラゼミからヒグラシに代わった蝉が鳴き、シオカラトンボや揚羽蝶が舞い、草むらからコオロギやカマキリが飛び出す畑でミニトマトを摘ませてあげれば、どんな反応をするだろうかと楽しく想像しているのです。
此の夏に読んでいる本を少し。 とても難しくていまは二度目を読んでいる本について少しばかり。 「宇宙が始まる前には何があったのか?」 難しいけれど数式が出て来るわけではありません。 コペルニクスやニュートンから始まりアインシュタインを経てホーキングに至る物語です。 万有引力や地動説から始まり光速距離と時間の関係、つまり四次元宇宙の物語です。138億年の昔にビッグバンで生じた宇宙の前には何が存在したのか、膨張を続ける宇宙はどうなってゆくのか。現在、存在するであろう《見えない》宇宙と我々が眺めている宇宙とは、どんな関係にあるのか。 万有引力の法則と相対性理論と素粒子論はどんなつながりをもっているのか。 ダークマターにダークエネルギー、元素すらもその姿を転じてゆく等々、一読で理解できるような易しい話ではありませんが、でも気宇壮大でしかも我々の身体もこの宇宙も等しく素粒子から組成されているのだという、理解できないけれど事実である話。
地球は太陽の惑星の一つであり、太陽は銀河系の端に何億年もかけて公転している銀河系千億の恒星の一つであり、そんな銀河系数千億で構成されているのが現宇宙であるという壮大というよりも気の遠くなるような物語です。宇宙電波望遠鏡ハッブルで観測できる138億年彼方のビッグバンの証拠は、138億年前の姿であり宇宙マイクロ波背景放射として観測されているなどという話は茫猿の理解の枠を超えています。
この本を読み終えてから、DIAGRAM of our universe《宇宙図》というサイトに出会いました。(公財)科学技術広報財団が提供しているサイトです。このサイトを下敷きにして「宇宙が始まる前には何があったのか?」を読み返しているところです。
DIAGRAM of our universe《宇宙図》によれば、宇宙を感じるためには四つのルールがあると云います。
ルール 1 宇宙を見ることは、昔をみること。
目視確認できる太陽の姿は八分前、スバルは400年昔の姿。ビッグバン時の背景放射は138億年前のこと。
ルール 2 見える宇宙と見えない宇宙がある。
八分前の太陽、138億年前のビッグバン直後の宇宙を知ることはできるが、ただいまの宇宙は見えない。つまり一億光年離れた一億年前の星の姿は見えても、一億年前から今に至るその星の姿は見えない。ただいまの姿は一億年後にその星からの光が地球に届いて、初めて見ることができるという壮大というよりも気の遠くなるような話です。つまり、遠い星や銀河は遥かな過去の姿しか見えず、近い星は比較的新しい姿を見ているのであり、見えている星々の姿が示す時点は同じものではないということ。
ルール 3 宇宙では、遠くの距離は要注意
天体までの距離を表す時によく使われるのが、「光が旅をしてきた道のり」です。例えば、私たちに見える宇宙の中で一番遠くからきた光は、138億年をかけて「138億光年」の距離を旅してきました。しかしその長い旅の間にも宇宙は広がり続けたため、光が進んでこなければいけない道のりは、スタート時点よりもどんどん伸び、光が放たれた場所自体も、はるかに遠ざかってしまいました。光が届いた現在、その場所は、もう私たちから470億光年のかなたに離れていると推測されています。《とても難しいので、サイトより全文引用しました。》 つまり、138億年前のビッグバンに始まった現宇宙は138億光年の広がりに止まるものではなく、138億年のあいだも拡大を続けて、見ることはかなわないが、現在は470億光年の彼方に広がっているという物語です。
ルール 4 宇宙は「科学の眼」で見えてくる
この件は DIAGRAM of our universe《宇宙図》 を見てください。
たかだか百年未満の我が人生、しかも残されているのは十年か、せいぜい二十年であろう我が人生、現人類が誕生してからでも数万年、悠久の歴史といってもせいぜい数千年である。 太陽系が誕生してから四十数億年、太陽から最も近い恒星ケンタウルス座のアルファ恒星系でもその距離は4.3光年の先です。ケンタウルス座のアルファ恒星の現在は4.3年後でなければ判らないのです。この星がおよそ25,000年後には3光年まで接近すると云われても理解の範疇を超えています。《であるとすれば、七万年後にはどうなっているのだろうか?》
夏の夜空を眺めて悠久の宇宙に想いを馳せながら、桂東雑記全四巻を読み返しています。宇宙の歴史には及びもつかないが、漢字数千年の歴史にも壮大な広がりを感じています。白川静氏が述べている「一つの音読みしかもたない中国漢字に比べて、複数の音読みと複数の訓読みをもつ日本漢字を知らずして日本文化は語れない。」という言葉の重みと深さを短い夏の夜に考えています。
数千年の漢字の歴史、数億年から136億年の宇宙の歴史を考えながら、水遊びする孫娘が過ごしたまだ二年に満たない幼い人生、そしてこれから迎えてゆくであろう数十年を考えています。《遊んでいるプールは、ホームセンターで購入したパネル板とブルーシートで製作しました。張っている水は地下50mから汲み上げた冷たく旨い井戸水です。この水は、たぶん数十年前に奥揖斐の山あいに降ったであろう雨水なのです。》
地球の生命進化の歴史を考えてみれば、46億年前に地球が誕生し、原始生命が生まれたのは40億年前、五億年前になって三葉虫などが現れ、二億年前になって恐竜や哺乳類が現れ、六千万年前になって恐竜が絶滅し、四百万年前になってやっと猿人が誕生し、十万年前になって現代人類がアフリカに誕生し全地球に広がったのである。地球誕生を元旦とすれば、現代人類が生まれたのは大晦日も押し詰まった夕方のことである。最後の氷河期が終わり現世人類繁栄の歴史が始まったのは除夜の鐘が鳴り始めた頃なのである。
十九世紀から今世紀にかけての人類の飛躍的拡大と発展などというものは、地球の全歴史からすれば一瞬の光芒にも似ているのであると思えば、すべては夢幻のごとく思えてもくる。 そうはいっても、宇宙に相対性原理や万有引力や量子論的世界があるように、人類にも40億年前から引き継がれるDNAの歴史が有り、孫娘にも掛替えの無い唯一無二の人生があるとすれば、なんとも不思議なことである。
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