睡蓮開く

睡蓮の花は咲くと云うよりも開くと云う方が似つかわしい。
今朝はこの夏最初の睡蓮が開いた。

睡蓮の開く水瓶には、一昨年夏に息子が孫の為に買い求め放ったメダカ三尾が、昨冬も越しこの夏は産卵したようで、何匹もの小さな影が水の中を動いている。水瓶の中で二冬を越した生命力に驚かされている。 睡蓮、メダカ、殿様蛙が住まう小さな水瓶が小宇宙に思えてくる。
20150612suiren昨年来の懸案だったことが、兎にも角にも一段落した今朝である。 一段落したと云っても肩の荷が軽くなったわけでも、事態が好転したと云うわけでもない。昨日までの舞台の幕が降り、次のステージを迎えるだろう、今は幕間にいるだけのことである。

ふと、我が身の昔を思い出した。 私は最初から岐阜で事務所を開きたいと考えていたわけでも、開くべく定められていたわけでもない。 名古屋の選択肢もあったし、東京へ出ることだって可能性が無かったわけでもない。

でも岐阜に居た。岐阜を生涯離れることはなかった。 金華山と長良川がある町、緑の起伏ある町が好きだと言っていたものである。
でも本当は、岐阜と云う町が、私くらいには頃合いの大きさで、居心地が佳かったのではと思い返す。ぬるま湯の心地よさを楽しんでいただけではなかったかと思い返している。

睡蓮とメダカに気を取られていたら、この季節に慣れ親しんだ香りが漂ってくる。青春晩期に親しんだ歌詞でもある「くちなしの白い花」の香りである。20150613kuchinasi

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