2017雪景色

この冬の初雪とも云える降雪が14日から15日にかけて続いた。積雪量を計ってはいないけれどおおよそ10cm強に達したと思われる。14日朝の気温は氷点下で井戸端の蛇口が凍結していた。

15日朝にこの雪景色を撮影したのだが 、iphoneとMacの接続コードが不調で今日まで映像ファイルを取り込むことができなかった。今ほど、再接続を試したら全ファイルの2/3は取り込めなかったが、残り1/3は取り込めた。不調の本当の原因は接続usbコードなのか、それともその朝の低温のせいによるものらしきカメラの起動にトラブったiphoneに原因するのかは今もって不明である。

雑木林雪景色である。15日朝、束の間のぞいた青空を背景にして中央がメタセコイア、右がイチョウ、左は常緑樹クスノキである。手前の低木は枝垂れ桜、花水木など。20170115yukigesiki

鄙里のシンボルツリーである鄙桜も雪化粧している。20170115yukisakula

雑木林のなかの池の付近、雪の朝は鳥の声も無く静寂そのもの。20170115yukiike

その後も断続的に降り続いた雪は16日午後には上がり、今日は穏やかに晴れて樹々の雪はあらかた消えた。それでも吹きだまりや日陰の雪はまだ多く残っている。

15日早朝《06時頃》、道路で騒音がするから何事かと表に出てみたら、グレーダーが除雪作業をしていた。町と契約している建設業者の手による除雪作業であろうが、朝早く寒いなかを有り難いことである。新聞受けをのぞいたら新聞も既に配達されていた。遅配になっても休配になっても仕方ない天候なのにご苦労様と感謝する。

話しは年末年始にもどるが、大晦日の午後八時頃に宅配便が届いた。年末の混雑で遅れて申し訳ございませんという御挨拶付きの配達である。しかも、予定日を二日遅れましたから「冷凍状態を確認の上で、引き取り拒否」もできますという。帰省している息子が依頼した冷凍便であり、三ヶ日の食材であり冷凍保存にも問題が無かったから、ご苦労をねぎらって受け取ったけれど、昨今の宅配事情を垣間見たのである。

即日配達、小口配達、不在再配達再々配達などなど、通販の普及とアマゾンの無理押し、クロネコヤマトの一手引き受けなど問題山積みの宅配業界の一端を、大晦日押し詰まってからの配送に見たおもいがした。昨年末に日本産業の労働生産性の低さ、特にサービス業の低さが報道されていたが、生産性の低さは宅配便に象徴的な過剰サービスに原因するのではと思わされたのである。

《真白く冠雪する今朝の伊吹山  2017/01/18  11:00》20170118ibuki

正月が過ぎてから怠惰に過ごす日が続いている。為すことも無くと云うほどではないが、霜解けで泥濘んでいたし、この数日は雪が降ったから畑でも雑木林でも野良仕事ができない日が続いている。であれば書を読めばいいのだが最近は眼が疲れるようになったから、書を読み続ける根気も衰えた。暮れ前に届いた枕・方丈・徒然も半分も詠み終えていない様である。

無為に閑居しておれば考えることは、マイナスのスパイラル思考に堕ちてゆく。畢竟仕事が無いと云うのはとても辛いことなのである。仕事人間だったとは思わないが、仕事に追われているうちが花なのであり、鬱的なマイナス思考に落ちなくて済まされるようである。

現役の頃だって、煮詰まったら畑や雑木林で汗を流していた《煮詰まるというよりも多くは呑み過ぎた時だったけれど》。今だって無心に身体を動かし、心地よい疲れに包まれて風呂に入る時が一番幸せな気分にひたれるようである。冬来りなばというけれど、今は春待ち気分の茫猿なのである。

晩年の両親が畑に出て何やかやと仕事をしていたのは、そういうことだったのだと思い至っている。とくに母が、来年のことなど判りはしないが、今やれることできることをしなければと言っていたのを思い出す。

そういえば酒を呑まなくなった。家酒はもちろん外酒の機会も少ない。たまには呑んで開放されるのも佳しなのかもしれない。柚餅子に干し芋に切込み漬けを食卓に並べ今夜は家呑みとするか。先ずは畑にゆき、白菜、葱、大根、蕪などを雪の下から取り込んでくるとするか。

《追記》 iphone 映像ファイル取込みトラブルは、どうやらiTunes の設定不具合のようである。usb接続を止めてwifi接続に切り替えるのも手かもしれない。

最後の昭和浅草芸人・内海桂子さんが、車から降りる時に転倒し、左足付け根を骨折し手術を受けたという。彼女のtwitterによれば、「昨日は肉体的にも精神的にも停止日状態。8日前に路上で転倒して左付け根を骨折しその手術を受けた。魔の金曜日の13日に入院したがなんとか乗りきって手術も無事終わり只今はさほどの痛みもなく 経過は順調。これからのリハビリにはかなりの時間と過酷さがかかかりそうだが必死になって頑張ります。」

1922年生まれというから、父より九歳年下、母よりも二歳年下である。御年95歳驚嘆する気力である。一日も早くと云うよりは桜の咲く頃には舞台復帰されることを願っている。

 

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