初夏を思わせる陽射しのなか、すっかり葉桜となった鄙ザクラの下で草むしりをしていて、ふと母の最後の花見が気になった。母の旅支度日記を開いてみると、4/8と4/10の記録に短い会話が残されていた。
「母の旅支度日記」より抜粋する。
(2010.04.08・快晴、無風 朝の冷気が心地良い)
07:00、珍しく自ら起きてくる。ヨーグルトを食べお茶を飲むが、ヨーグルトはカップ半ばで止めてしまう。
08:30、点滴治療に向かうように言うと、「行かなければいけないか?」と問う。「治療をしないと良くならないよ。」と、西脇医院へ送って行く。 「何か仕事をしたいが、できることもすることもない」と言う。 何か身体を動かしたくなったのなら、とても良いことだと思うが、日がな一日寝ているだけに疲れ始めたのかもしれない。
一昨日の夕方に、「今日は朝からどうしてこんなに暗いのだ?」と尋ねた。時刻は19時過ぎ、暗いのは当たり前なのに、どうやら時計の7時を朝7時と間違えたらしい。同じ話の繰り返しがとても多い。それも15分ごとに同じ話を繰り返している。
それに車イスへ乗り込むことを怖がるようになり、私の腕をしっかりと掴むようになった。抱きかかえて乗せるよりは少しでも自分の足で歩かせるようにしているのだが、よろめくから目が離せない。
点滴を終わっての帰り道、家の門さきにきて離れの前の山桜をみる。『きれいに咲いたねー、真っ白に咲いたねー。』と、満開の咲き誇る桜を、車イスを止めてしばし眺める。
(2010.04.10・薄曇り、屋内気温16度) 明日は日曜日で休院日だから、今日は点滴に行かないと駄目と言うと素直に医院に向かってくれた。 点滴の帰りに散り初めた鄙桜を見て、『きれいだね、見事に咲いたね』と言う。心なしか症状が安定し桜を眺めるゆとりも出てきたように感じる。
《この日から五月八日まで、残り一ヶ月だったのだが、この頃は知る由も無い。04/12の夕食にマンゴを付けたら”オイシイね”とふた切れ食べた。それならと04/14に、ゼロが一個多いマンゴを買い求めてきたけれど、お袋さんは食べたくないと一瞥もしなかった。》
母の旅支度日記はその後も続くが、治療や介護のことばかりで、母とこの景色を楽しんだという記録は残されていない。今にして思えば、車椅子があったのだから母とこの景色を愛でたかったと思う。母を誘うこともなかった。父母の介護で手一杯で、樹々が微笑み笑う何ということもない日々の移ろいに気付くこともなかった。
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