梅雨入り

東海地方の今年の梅雨入りは昨日(2019/06/07)だった。先月末から干天続きだったから、昨日の降雨は恵みの雨だった。明け方や夕刻に水撒きをしなくてもよいのは助かるし、絹さやなどが終わった後に植えたサツマイモ苗にはもっと恵みの雨になった。

昨日一日中降り続いた雨が上がった今朝は、曇り空で少し梅雨寒である。しばらく前から考えていた、母屋玄関前の庭の相当部分を占めているツゲの植え込み伐採に取り掛かる。この庭を作ったのは、母屋を新築して間も無い頃と記憶するから、もう40年近くも前のことになる。その当時は小さかった植え込みも大きくなって、毎年の刈り込みも老いたあるじには結構な仕事になってきた。

此の春には大きく伸びた柘植の枝に遮られてよく々眺めることもし無かったせいであろう、五葉松の一番上の枝に松毛虫が大発生し、危うく裸木になってしまうところだった。松毛虫は駆除できたものの、大きくなった常緑の植え込みが玄関先を占めるのはとてもうっとおしい感じがする。だから思い切って伐採してしまおうというのである。

伐採前の状況である。 これでも両親の亡くなった後に、槙と松をそれぞれ一本ずつにツゲ一株を伐採している。

伐採前の状況、これでも両親が亡くなった後に、マキと松を伐採している。
伐採前の柘植植え込み

伐採後、簡単な養生と抜根をすませ、鉢植えから地植えに変える予定の鉢を仮置きしてみる。 玄関前がさっぱりとした風情であり、柘植に隠されていたイワヒバが良く見えるし、抜けてゆく風も涼やかに感じる。柘植の陰にあった庭石もチェーンブロックを使って、陽のあたる場所へ移動させた。

サツキなどを鉢植えにして楽しんでいたけれど、よくよく考えてみれば、死なないまでも病に臥せったりすれば水を遣ってくれる人がいる訳でなし、たちまちに枯れ鉢になってしまうことであろう。だから比較的安全な地植えにするかと考えるのである。

ふと、両親が存命だったら、どう言うだろうかと気づいた。「伐採したいのだが」と問えば多分「どちらなと、お前の好きな様にしやんせ」と答えるだろう。ともに百歳を超えていれば、もうどうでもよくなっていることだろう。

話変わって、毎日夕刻に、誤嚥を防ぐ為の口腔鍛錬を目的に、仏壇の前で正信偈を読誦するようになって暫くになる。その読誦のたびに、この頃とても気になることがある。それは生前の母に一言の礼も言えなかったことである。岐阜市内の事務所を整理して母の介護を始めてから、母が亡くなるまでのおよそ三ヶ月ほどのあいだに伝える機会は何度もあったのに、礼の一言も言えなかったことがこの頃とても気にかかり悔やまれるのである。

《こんな風に伝えたかった》『母さん、僕は留年したから、五年間も仕送りを有難う。僕を産み育て、今日までの六十五年間あれもこれも有難う。決して親孝行で素直な息子ではなかったけれど、何かと面倒を見てくれて有難う。今日まで家を守ってくれて有難う。長い長いあいだ、とてもとてもご苦労様でした。』

親から受けた様々な支援を親孝行という形で親に返せば、子供に伝えるものが何も無くなる。親から受けた支援は子供に伝えれば良いのであり、それが繋いでゆくということであろう。自らが孫の在る身となって思えるのは、子供たちが何かを親に返したいと思うのであれば、そのまま孫たちに与えて欲しいと願うのである。

(此の項は2019/06/03記す)今日は毛虫など害虫の防除薬剤散布と除草剤の散布を行った。害虫防除剤は動力高圧噴霧機を使用したが、門先などの除草剤散布は乾電池式の噴霧器を使用した。この乾電池式噴霧器は母が生前に使用していたものをそのまま使っている。いつ頃購入したのかと箱書きなどを調べてみたら、箱の底にマニュアルと保証書があった。保証書には販売店が販売日付を記入しており、確認したら平成20年5月と記載されている。

2008/05/04に大垣市内の農業資材店で購入している。私には記憶が無いから日付からして孫が連休に帰省した時に、孫の車で買い求めに行ったことであろう。母が二年使って私に遺し、それから十年ものあいだ私が使っている。

《2019/06/11 追記》今日は朝から青空である。柘植の陰になっていたサツキ二株が半円形になっているから、残りの半円に畑で養生してあったサツキを3本ずつ寄せ植えにする。昨日は30年物の柘植七本を抜根した。今朝は残りの五本を抜根する。

夕方になって普段にはない疲れを感じるが、ツルハシを振るっての抜根作業が喜寿近い老体にはこたえたようである。それでも体力を振り絞ったお陰で、なんとか見られる玄関先になった。母屋の北側には陰になっているサツキや庭石があるから、追々に移植、移石すれば、数年後には、それなりに様になるだろうと考えているものの、数年後にあるじの人は幾つになるのやら。

《2019/06/12 追記》修学院離宮にならって、一二三石状に踏み石を並べて見た。修学院離宮隣雲亭の軒下の「一二三石(ひふみいし)」は小石の模様だけれど、茫猿拙庭では素人設えの踏み石なのである。

画面上部の玄関前石畳みは旧名古屋市電の軌道敷石である。市電廃止時に(1974年市電全廃)、払下げられた軌道敷石をW造園業者が購入しておき、我が家の築庭に活用したものである。画面手前左の角石は、1947年まで我が家旧邸であった家の大黒柱敷石である。旧邸取り壊しの折に、旧邸を継承した今は亡き叔父より譲り受けたものである。

十数株の30年生柘植の伐採から始まって(06/08)、雨降り日を挟んで抜根、移石、移植とミニ造園設え作業が終わって(06/12 14:00)、爆睡三時間、まだチェーンブロックとハサ杭を組んだ三つ又の解体作業が待っている。夕食後ライトアップしてみたら、これも悪くない。ビールでも片手に涼んでみるか。当分は何やかやと、手を加えつつ楽しめそうである。

《2019/06/13 追記》玄関先の植え込みにしても盆栽の管理にしても、兎にも角にも、来年のことを思い煩うよりも、今を楽しく美しく生きることこそが一番なのだと思い定めている。 金融庁が公表した「高齢社会における資産形成・管理」報告書によれば、二千万円持たねば、お先真っ暗だと物議を醸している。

百年安心年金は何処へ消えたのだろうか。少子高齢化とデフレ経済が年金給付の根底を揺るがすだろうことなど、昭和の頃に分かっていたけれど、三十年を無策に費やしただけである。公務員共済年金と厚生年金と国民年金の鼎立は社会の階層的三分割を生み出しただけであり、金融庁の物議報告書も公務員共済と厚生年金該当者により作成された”お気楽報告書”に読めてしまう。

夏至が近くなって陽射しが厳しいので、盆栽と睡蓮瓶の金魚に日よけの遮光ネットを張った。そこで涼気を誘う初夏の白い花を三題、(左)姿は夏椿(沙羅)、(中)勢い夾竹桃、(右)香り山梔子

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