ラジオ深夜便の『絶望名言』コーナーで、”金子みすゞ”を取り上げていた。忘れないうちにと書棚から”みすゞ”の詩集や関連書籍を数冊取り出して、机の上に置いた。書棚の退蔵から机上の積読へである。《これも長いこと、下書き保存されていた記事である。書き起こしは一月末の頃である。》
”みすゞ”の詩集をめくっているうちに一句浮かんだ。
『灯りつけ 遺影に声かけ 飯を炊く』(茫猿)
父母が居なくなって我独りの侘び住いの頃に、日が暮れて帰宅すれば、無人の家が”のっそり”と夜のとばりの中にうずくまっている。家の中に入り、手探りで灯りをつけてから父母の遺影に「ただいま」と声をかけて夕飯の支度を始めるのである。独り作り独り食す夕飯だったが、不思議と侘しいとか寂しいとは考えなかったと記憶する。今よりも格段に若かったせいであろうか。
昨年の今頃は、04/21から05/03まで市民病院の病床にいた。脳梗塞を発症して隣に寝たきり病床や死神を垣間見ていたのである。次あると思う仇し心なのであり、花に風、月に叢雲なのである。しばらく顔を見ていない久美子叔母と千枝子叔母の見舞いもそんなに先送りせず、母の命日が過ぎれば間を置かずに見舞おう。千枝子叔母に母の面影を見て久美子叔母に父の面影を見てこよう。
父と母がいなくなって、もう九年が過ぎた。まだ九年しか経っていない。まだ九年もう九年、畑から手押し車を押しながら、悪い足を労わりながら、身体を揺らしながら、母が農作業から上がってくる。もう二度とお目にかかれない光景だけれど、懐かしく浮かんでくる光景である。 父母が懐かしいばかりではなさそうである。
亡くなった当座は懐かしさ、至らなさを詫びる気持ちと後悔などが入り混じっていたように思い返す。 その後、父母の在りし日の姿を懐かしく思い出すようになり、今はまた少し違う。 昨年に死神の姿を垣間見たせいだろうか、父や母の居たそして私も過ごしたこの景色をとても愛おしく思える。桜の季節が再び巡り来たる保証など何処にもないのだと思えば、今此処の風景がたまらなく愛おしいのである。
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