戦後74年目の夏過ぎて

中日新聞の日曜朝刊5面には「ニュースに問う」と題する特集記事が毎週連載されている。2019年8月の連載は太平洋戦争末期に起きた特攻隊攻撃を問い直す連載である。過去には 東京新聞社会部の望月衣塑子記者の「針路なき武器輸出(1)理念どこに」が連載されていたこともある。《東京新聞は東京地方紙であるが、中日新聞東京本社が発行する。》

商業新聞にジャーナリズムの”心や理念や矜持”が失われて久しいと嘆く書き込みがネットには溢れている。冒頭に掲げる望月衣塑子記者への内閣記者クラブの対応などは、それを如実に表すものとしてよく話題になる。

安倍内閣への忖度を除けば、ジャーナリズム精神が消え去ってしまったとまでは思わないが、それでも世情におもねることが多く世情をリードしようとする気概が薄れているのではと懸念することが多い。

そんな中で先の戦争末期における特攻隊攻撃を正面から問い直して、事実は命令を受けて攻撃に赴いた特攻隊員たちのありのままを記し、送り出した側の司令官や参謀たちの愚かさをあきらかにする連載記事がある。

特攻のメカニズム2 勇士の反逆(1)(2019.8.18)
後世に伝えられたままに、私たちが描く特攻のイメージは、爆弾を積んで敵艦に突っ込む、という至極単純なものだろう。 実は、そうばかりではない。戦争末期でこそ、ろくに飛行訓練も受けないまま、学徒兵らが消耗品として特攻を強いられたが、もともと旧日本軍の飛行機乗りは「空中勤務者」とも呼ばれ、優れた操縦技術を持つ専門性の高いエリート集団だった。《冒頭部分引用》

特攻のメカニズム2 勇士の反逆(2)(2019.8.25)
特攻のメカニズム2 勇士の反逆(3) (2019.9.1)

この連載に先立つ、「特攻のメカニズム・帰還者の伝言」と題する上中下三部連載記事がある。中日新聞地方部加藤拓記者が特攻隊について調べるに至った、13年にわたる経緯が「特攻」のメカニズム 帰還者の伝言(上)に記されている。

加藤記者は特攻について次のように記している。『特攻は、軍の「統帥権」を持っていた天皇の指示ではなかった。それどころか、「命令」だったのか、「志願」なのかも判然としない。日本特有のあいまいさの中から生まれた特攻は、現代のこの国にも通じているのではないか。そのメカニズムをいま一度、解き明かしてみたい。』

「特攻」のメカニズム 帰還者の伝言(上)(2019.5.12)
「特攻」のメカニズム 帰還者の伝言(中)(2019.5.19)
「特攻」のメカニズム 帰還者の伝言(下)(2019.5.26)
他の人々のために若者が自ら犠牲になる。そんな物語を過剰なまでに美談にしたがる傾向が、私たちにありはしないだろうか。第二次大戦中、「特攻」は命令ではなく、若者たちの志願と国民に伝えられた。国民は、その若者たちを「軍神」としてあがめ、敗戦が色濃い中でなお、国家指導者への妄信をつなぎ留める効果を生んだ。《冒頭部分引用》

かろうじて存命だったかつての関係者たちの証言をまとめた合計6部の連載記事である。敗色濃厚な戦いのなかで、自ら志願し国のために亡くなった方々と、我々は特攻隊員を誤って美化してはいないだろうかと改めて問い直したい。

抗い得ない命令同然で形だけ志願を装った特攻隊志願の実態を、歴史の事実として刻んでおきたい。知覧特攻平和会館で若くして亡くなった彼らの遺影に出会えば、彼らの澄み切った眼差しに驚かされる。また彼らの遺書に記された文字の端正さにも驚かされる。そんな優秀な彼らを敢えて死地に赴かせた旧日本軍上層部には、嫌悪感さえ感じるのである。

戦後においても特攻隊出撃者の大半は亡くなっているのに対して、出撃させた司令官や参謀たちは生き残り「崇高な出撃志願だった」と特攻隊員を美化し、自らの出撃命令の責任については口を拭ったまま亡くなった。陸海軍の作戦指揮をとった参謀たちは「疚しい沈黙」のままに亡くなってしまったのが、戦後七十年の歴史なのである。

《怒りよりも憮然たる思いで追記する》
五月に国後島墓参訪問団に随行し酔った上で「戦争是非発言」をしたN国党の丸山穂高議員(随行当時は維新所属)、今度は韓国国会議員団による竹島上陸に関し、「戦争で取り返すしかないんじゃないですか」と自身のTwitterに投稿した。戦後74年にして、戦争を公言する国会議員が現われた。

 丸山議員だけが突出しているのでも、奇癖なのでも無かろうと思われる。彼にそのような炎上商法を仕掛けさせる周辺環境が存在するのであろう、少なくともたしなめる誰かもいないのであろう。憮然とせざるを得ない。憮然、呆然、悄然、表現の仕様が無い。この件を糾そうとしない国会議員は全て「疚しき沈黙」に在ると承知すべきだろう。

《追記 2019.09.03》
この記事の最初のタイトルは「特攻のメカニズム(中日新聞)」であった。だがどうにも違和感を感じる。最近の記事一覧を眺めていても、一つだけそぐわないというか馴染まないタイトルが並ぶのである。だから、タイトルを現在のものに変更したのである。

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