秋ひといろ

台風15号被害にあわれた方には申し訳ないが、台風一過快晴の鄙里である。ただ今の室温は23度、開け放った窓から風が心地良く抜けて行く秋ひと色の午後である。 台風前の長雨、台風さなかの上京と、畑に出ることがしばらく無かったから、朝から野良仕事に精出した。
大根や水菜、青梗菜の間引きと草取り、葱苗の植え付け、菊の支柱立てなどである。 菊作りといっても、この数年は畑の隅に放置したままに母が遺していった菊株を、昨秋株分けして植え付けておいたら、それなりに成長していたのだが、台風で倒れていたから支柱を立てただけのことである。 芽欠きも仕立てもしていないから、小菊しか咲かないだろうが、それでもこの秋は生花に不自由しないだろうと思えるだけの株数になっている。来年はもう少し菊作りも学んでみようかと思っている。


野良仕事で気づいたことが一つある。生き物は見回ってやり声を掛けてやれば育ってゆくと聞いたことがある。 確かに時々の畑では見えるものが限られてしまう。 毎日は無理でも、せめて三日に一度は見廻れば、三日前との違いがしだいに見えてくるようになる。 水を欲しがっている、痩せている、暑さに疲れているなどといったことが見えてくるようになる。
我が荒れ庭には柿の木が十本くらいあるのだが、一昨年の秋から冬にかけてばっさりと枝を落としたから、昨秋も今秋も実りは僅かである。 それでも実を付けている枝とそうでない枝の違いが少しずつだが見えるようになってきた。 この冬は少しは確かな剪定作業(無駄な枝の切り落とし)ができるだろうと考えている。 であれば来秋は豊作になるだろうと「捕らぬ狸ならぬ、稔らぬ柿の算用」をしているのであるが、来年のことを言えばカキも笑うだろう。
見えてきたと言えば、蜜柑の幼木に揚羽蝶の幼虫が付いている。 以前は見落としていたものを最近では見逃さなくなっていたのだが、数日のあいだ見回らなかったら若葉を全部食べられて丸坊主になっていた。 よく見れば見事に育った幼虫が数匹も枝にとまっている。これからサナギになって冬を越すのか、それとも秋深く羽化して飛び立つ予定だったのだろうか。
庭の秋景色、まずは曼珠沙華である。そういえば、今日は彼岸の中日なのである、ここ暫くは胸突き八丁の日々であろうから、両親のご加護を願って正信偈を一巻上げようと思う。
年忌まえ  知らせる花あり  彼岸入り 《茫猿》

秋といえば、数日前と様変わりに法師蝉など蝉の声は僅かになり、草むらの虫の声が高くなった。青空を背景に山から降りてきた秋茜が飛び交っている。 留まっているのは牡丹の枝先であるが、牡丹は既に来春の準備を整えつつあり花芽ができている。 まだ色浅いアキアカネだが、これからしだいに茜色深くなるのだろう。
便りもち  山から来たか  あきあかね 《茫猿》

青空に飛ぶアキアカネ。 動くものを撮るのは苦手である。フィルム時代の一眼レフは連写が簡単だったが、デジカメでは連写機能をうまく使いこなせないだけのことなのだが、他にも理由がある。 40年以上、カメラを手元から話したことは無かったが、被写体はいつも不動(産)だった。その習い症なのだろう、今に至るも移動体は苦手なのである。 この写真一枚を撮るために、三十分も庭先に寝転がって何回シャッターを押したことだろう。

カラスの枕(食べられない、秋深くなると赤く色づく)

草イチゴ(食べられない)

ジュズダマ草(色づいた実を紐に通して遊んだような、遠い記憶有り)

これも台風の余波か、ギンナンが一面に落果していた。 始末をすれば酒の肴になるのだが、僅かな量を食べるために危険を冒すこともないから放っておく。 危険? ギンナンの食べる部分はこの黄色い果肉のなかにある種なので、果肉を落とさなければならないのだが、これがとても危険なのであり、迂闊に作業をするとカブレて目も当てられない様となるのである。昨秋に注意しながら作業したのだが、それでも二三日は腫れが退かず痒みが止まらなかった。

さて、最後は前振り話題の揚羽蝶の幼虫(芋虫)のことである。 この類が好きな方は少なかろうが、でもよくよく見れば、さすが筋目高い揚羽蝶の幼虫である、結構な面構えだし、配色も鮮やかである。蜜柑の葉を食べ尽くしたから目立つが、葉陰にいれば簡単には見つからないだろう。

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