喜寿 それで?

近く迎える誕生日に至れば茫猿は満76歳となる。ということは、今年は数えで77歳なのである。今や数え年齢でものを考えるのは茫猿のような高齢者のみで、数え年はすでに死語になっているのであろうが。

数え年齢の数え方は生まれた時が1歳で、次に正月を迎える度に1歳を加えて数えるものである。最近は満年齢で祝うことが多くなったようだが、還暦や喜寿など長寿祝い年齢は数え年齢で数えるのが本来である。

六十歳が還暦、六六歳を緑々寿、以下というか以上というか次は、七十歳が古希、七七歳が㐂寿、八十歳仐寿、八八歳米寿、九十歳卆寿、九九歳白寿(百引く一)と続く。緑寿については、2009.02.08に緑壽と題する記事を掲載している。

全般的な高齢化の進行や元気な年寄りの横行などからすれば、還暦や古希などを年寄り扱いするのは今風ではなく、喜寿くらいから年寄りとか老人とかいえようか。それとも傘寿、米寿くらいから年寄り扱いが相応しいか。

日本人男性の平均余命は80年であるが、これは零歳児の平均余命であり、75歳の平均余命は11年、すなわち平均して86歳まで生き長らえるだろうということである。同時に平均値はあくまでも平均なので、余命1年(76歳)から25年(100歳)まで様々であり、それらの平均値が11年ということである。

算術平均値が幾らであったとしても、中央値はまた別の数値であろうし、個々人にとっては平均値も中央値も無関係に、個々人毎の”絶対的”余命が得られる、時に与えられるということなのである。

父は97歳、母は90歳で亡くなった。共に平均値を上回り長命といえよう。数え年齢であろうと満年齢であろうと今年来年のうちに喜寿を迎える茫猿である。若い頃は自分が喜寿を迎える姿なんて想像もしなかったし、喜寿を迎える先輩方は随分と年寄りに見えたし思えた。その私が喜寿である。

生き長らえた喜びよりも、残余命の暮らしが如何様なものなのか、些か不安にも思える昨今である。共に70を超えた老夫婦の最近の会話は、オムツ、延命治療、そして緩和ケア病棟の三題なのである。

とマア、喜寿を然程に喜ばず、飽きもせず老いる繰り言を繰り返す我が身ではある。それに引き替え、この数年のうちに次々と先に旅立っていった誰彼が、「生きてるだけで丸儲け、俺の分まで今を楽しめ」と語るような顔が浮かんでくる。ほろ苦くも懐かしい日々を共に過ごした彼らである。「アイツが生きてたら、もっと楽しかろうに」と呟くように漏らした誰かの言葉が何の脈絡も無く思い出される。

阪神淡路大震災から今年は25年、四半世紀が過ぎた。進学する長男を送って焼け跡に立ってから25年である。東北大震災のあと、ささやかな支援物資を積んだトラックを大槌町に向かって2000km走らせてからでも9年が過ぎた。阪神淡路の頃は若かったな、そして東北震災の頃でもまだまだ若かったなと当時を思い返す…………..。

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