我輩は駅である -2-

我輩は駅である。ジオラマ茫猿鉄道の基幹・明日開駅が我輩の名前である。我が明日開駅を定刻に出発したEF65電機(電気機関車)は、出発して直ぐに茫猿が御苦労して設置した開かずの踏切を横目にしながら間も無くループ線の登り高架橋に入る。

高架橋を登り切ると進行方向左手の眼下に鄙町の町並みが見えてくる。鄙町は昭和後期の面影を残す町並みで、共に煙突のある銭湯、町工場そして寂れた衣料品店が小さな神社と消防車庫や火の見櫓を挟んで所在する。通りの向かい側にはこれも小さな医院と郵便局、それに何やら不釣り合いな青い屋根の洋館が所在する。この洋館は一説には遠洋航路の船員さんが引退を機に郷里に建築した”錦を飾る”隠居所とも言われている。

しばらく直線路が続く高架線路の左手には、林に囲まれた鄙町駅と山寺門前駅が見える。右手にはNゲージ複線路とHOゲージ複線路が単調に続いている。両駅は明治末期から大正にかけて敷設された路線の駅だが、その後に高架化廃線となり今は駅舎のみが残る。当時の古い写真がライブラリーには残されている。当時のこの路線は基幹駅である明日開駅から分岐して昨映駅、鄙町駅を経由し、山寺門前駅に至る支線路であり、終点には機関庫が存在した。今は鄙町駅にも山寺門前駅にも線路は無い、高台下に見えるのはジオラマ背面に回り込む路面電車の軌道敷である。手前の鄙町の通りには銭湯、火の見櫓、神社、町工場が見える。
しかし利用客の減少などから廃線となり、その跡地に現高架線路が築造されたものである。両駅も取り壊しが検討されたが、古びた駅舎が映画ロケの現場などに珍重され、今や観光名所となっている。休日にはインスタ映え写真を自撮りする若者で混雑するが、彼らは自家用車でやって来る。当時の鄙町駅付近にはJR事務所も変電所も所在していたが、今は明日開駅付近に移転している。

さらにEF65電機が進むと、江戸中期に創建されたと伝わる古刹である山寺観定寺(カンテイジ)の五重の塔が観定寺を囲む広い境内の森越しに見えて来る。境内には塔の他にも本堂、山門、鐘楼などが所在し、桜や松その他の花木も見える。

EF65電機はやがて観定寺の境内林背後を通り抜け、高架線路を降って路面電車が走る平成の街並みを左手に眺めながらループ線昨映駅(サクエイ、昨日の展開、明日の反映より命名)を抜け、主人茫猿が一昼夜をかけて苦労の上設置した開かずの踏切も通り抜け、外回り線と並行するNゲージ本線内回り線に移ってゆく。内回り線を周回し遠吠岳直下のトンネルを抜ければEF65電機は明日開駅に到着するのである。

《開かずの踏切の由来は、2020茫猿鉄道番外編 その3 投稿日: 2020年3月6日 に詳しい。》 今日はここまでとする。

我輩は駅である -3- へ続く

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