2020年コロナ禍中の盆

 2020/04/07に、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言が東京など7都府県に発布され、次いで全国に拡大してゆき、それが全て解除された2020/05/17迄の時期を”コロナ禍第一波”とするならば、今は第二波渦中のなかで迎える「2020年のお盆」といえるのかもしれない。手探りの「コロナ禍中の盆」である。

 近年の盆は帰省している孫娘との応接に追われているせいか記事が少ない。精々、孫と墓参りに行ったくらいの記述しか残していない。父母が亡くなってから孫が生まれてくる迄は墓参りの記事などがあるにはあるが、それ程でもない。 それ以前は現役の頃だから、盆は行楽の季節であった。

 今年は父母が居なくなってから十年目の盆を迎える。父母の写真を眺めながら、十年と云う歳月の経過は私のなかで父母の存在を歴史に替えたなと思わせる。弟が居なくなってから13年、娘亜希子が居なくなってからでは46年が過ぎた。二人の存在は既に私のなかの歴史感覚である。

 月日は悲しみを癒すと云う、癒し難く思えた悲しみも後から振り返れば、月日が癒していることに気づかされる。新盆の頃は悲しみの只なかに居たものが、迎える盆を重ねるごとに悲しみは記憶の澱のなかに沈んでゆき、思い出そうとしても澱の底から浮かんでくるものは年ごとに少なくなってゆく。

 今年の盆は「コロナ禍中の盆」である。初めて迎えるCOVID-19が蔓延するなかでのお盆である。東京に在住する孫たちも瀬戸内に住まう息子も帰ってこない静かなお盆である。先ほど老夫婦だけで墓参りに行ってきたけれど、村の墓地も各家庭に訪れる人たちが少ないせいか例年になくひっそりとしていた。

 墓参り帰省も無く行楽も自粛されるなかで、連日35度に達する猛暑の盆は過ぎてゆく。今夕は心なしか涼風が吹いているような気がしたし、空の雲と色は明らかに秋の気配を漂わせていた。

 顔が見られない孫たちへと図書の宅配を注文したら、猛暑のなか、コロナ禍中でありながら、翌日に配送されると云う。コロナ禍は”テレワーク”、”リモートワーク”などのデジタルワークを流行らせているようである。

 デジタルワークそれ自体にも様々な問題が存在することを浮かび上がらせているが、最も大きく切実な問題は、「オンライン・デジタルワーク」は「リアルワーク」の支え無しには成り立たないと云うことである。宅配便然り、生鮮食品の物流然り、インフラの維持管理然り、COVID-19対策に追われる医療福祉関係然りである。

 モニターの前に冷たい飲み物片手に座って仕事が成り立つ「オンライン・デジタルワーク」は「リアルワーク」の支え無しには、到底成り立ち得ないと云う自明の理を今更ながらに明らかにした。しかもこの「リアルワーク」の多くは、猛暑の中で汗を拭ういとまも無い非正規雇用者によって支えられていると云う、冷厳な事実が存在している。

 2020年コロナ禍中に迎えたお盆は、日本だけでなく世界中の「”リアル”と”バーチャル”」の「”グローバル”と”ドメステイック”」の埋めようも無い理不尽な格差の存在を白日の下に晒した。そんな気がする、そしてこの”晒し”は始まりのような気もする「2020年お盆」である。

 08/06 広島原爆忌、08/09 長崎原爆忌、そして08/15 終戦記念日がやって来る。8月の15日を終戦の日と言い換えている間は、本当の意味で戦前も戦争も日本は総括できていないと考えている。敗走を転進と言い換えた旧日本軍大本営発表と同様に、無条件降伏した敗戦を「終戦」と言い換えて、実態を糊塗し事実と直面することを避けてきた日本及び日本人の75年間である。

 75年前の戦争で数多くの日本軍兵士が戦場に倒れたが、戦闘死者数と同じくらいの数の兵士が兵站と作戦の不備で飢えや病に倒れたと云う。さらに沖縄戦、原爆、空襲、抑留などの民間日本人の犠牲者数も膨大な数である。日本人だけではない。日本軍が日本の国境の外に展開して巻き起こした戦闘で、巻き添えにしたアジア太平洋諸国の兵士と諸国民の数も膨大である。

 靴を踏んだ者は「踏んだこと」も憶えていないと云う。しかし踏まれた者は「踏まれた痛み」を忘れることは無いのである。踏んだ者と踏まれた者の越えようも無い彼我の差について、思いを致すことができるかどうかが、「終戦記念日」と言い換えを続ける人々に問われていると『2020年コロナ禍中の盆』に改めて考える。

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