コロナ禍を転じれば -3-

 厚生労働省公表によれば、7月25日現在の新型コロナウイルス感染者は28,786例、死亡者は993名とある。また、入院治療等を要する者は6,220名、退院又は療養解除となった者は21,567名とある。四月を第一波とすれば、第二波が到来している状況であろう。

 3月から始まった新型コロナ感染症騒動も、梅雨明けを前に終息期を迎えるどころか第二波の到来が懸念される、いや既に到来しているのが危惧される状況である。

 もうすぐ半年に及ぼうかと云う感染症騒動を考えるときに、気がかりなのはこの騒動で最もしわ寄せを受けるであろう社会的弱者すなわち、母子・父子家庭、非正規労働者単身家庭、心身障害者、高齢単身者家庭或いは老々介護家庭などである。

 それに騒動が長引き第二波第三波の襲来が懸念される時に、長い緊張から心身ともに疲れが溜まっているであろう、医療現場の方々の疲労である。医師を除けば(医師でも過酷な勤務条件下にある方もいると伺う)、多くの医療従事関係者の待遇はそれほどに恵まれたものではないとも伺う。

 そこで内閣に望むのである。この数年のあいだ毎年の増加が指摘されている防衛費について河野防衛大臣のサイトからその伸びを検証してみる。
OECDが発表した購買力平価(19/6現在)で換算した日本防衛費の変動
2016年 474億弗、17年 478億弗、18年 494億弗、19年 500億弗、2020年506億弗。2020年は2016年対比で32億弗増加している。ざっと3,500億円の増額である。

 様々な議論が存在することであろうから、防衛費を直ちに減額しろとは云わない。せめてこの数年の増額分、特に新規防衛装備費(航空母艦や新型戦闘機やミサイル防衛など)を中心に減額して、その差額を医療従事者の待遇改善、施設増強に振り向けることを出来ないだろうか。是非とも為政者に一考願いたいことである。

 これも新型コロナ感染症騒動に関連する事項であるが、大垣北高同窓会FaceBookグループサイトの投稿で本日知った件である。特定非営利活動法人サルタックの活動である。「ネパールの子供達が学校閉鎖中も学習できるように支援したい!」と云う、サルタック理事の畠山勝太氏のことである。彼は隣町の平田町から大垣北高に進んだと云う。頼もしい、誇りに思える後輩の活動である。後期高齢者である故にマコトニ貧者の一灯で申し訳ないが、早速にReadFor支援しました。彼のような方が同窓であることを誇りに思います。

 このサルタック支援のクラウドファンディングは、目標金額を達成した場合のみ実行者は集まった支援金を受け取ることがでる All-or-Nothing方式である。支援募集は8月6日(木)午後11:00までである。趣旨に賛同頂ける方々の支援を請い願うものである。

 「鄙からの発信」はかねてから止揚学園を支援している。ボランテイアとか福祉支援などと云うものは仰々しく、声高に世間にふれ回るものではないと承知している。しかし同時に、言わねば、その存在すら世間に知れないのである。「貧者の一灯」の如き支援であろうとも、語ることにより賛同者を増やす一助になるだろうと考えるのである。偽善という誹りも敢えて甘受する。

 もう一つ心に決めていることがある。茫猿の限りある資金力では、無差別散漫・届け先不明な寄付支援はしないということである。支援対象は”止揚学園”、”街頭・あしなが募金”にほぼ限定している。サルタック支援は例外であるが、理事が大垣北高卒業生というご縁が有り、目的が明らかであるから茫猿の明らかな支援対象なのである。

《蛇足または無駄足》
 サルタック支援のクラウドファンディングは、支援が刻々と積み上がってゆくのをサイトで観ることが出来る。世間との御縁が薄らいでいる後期高齢者にとって、自分の関わる有縁が輪を広げてゆくのを見られるのは、とても素晴らしいことである。

 街頭・あしなが募金も、これまた『世間との御縁が薄らいでいる後期高齢者』にとっては、孫世代の若者の活動に関われる嬉しさを味わえる。誤解を怖れずに言えば、若い張りのある『ありがとう』の声を浴びることが出来る楽しさである。駅頭に募金箱が五つ並んでいれば、箱毎に千円づつ投函させて頂き「ご苦労さん」と声を掛ける。そして『ありがとう』の声を箱毎に頂く、(たぶん)年寄りだから許されるパフォーマンスもするのである。

 東京五輪2020も新型コロナ感染症の影響を回避して一年延期を決めたが、東京都もJOCも蚊帳の外で、安倍総理とバッハIOC会長(最大スポンサーの米国TVの意向を伺う)との競技で決まったという。商業主義が蔓延しアマチュアリズムが消えた五輪に今やクーベルタン男爵が提唱した平和とスポーツの理念は何処にも無いのだろう。終息の気配が見えない感染症を考えれば2021年開催も危うい。

 元々が福島原発は管理下にあるという虚偽発言から始まり、”復興五輪”という欺瞞に飾られた東京五輪2020である。望みを託したアスリートには気の毒なことだが、アスリート・ファーストであるならば8月開催ではなく10月開催であるべきだった。それらに目を瞑り無言を貫いた、すなわち「疾しき沈黙」に終始し五輪開催を至上目的としたアスリート自身の責任も免れ得ないと云えば厳しすぎるか。

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