アケオメ

どうでもよいと言えば、どうでもよいことなのだが、なぜか気に掛かる。 喪中につき年賀を欠礼しますと伝える葉書である。 出すなと言う訳ではない、でもビジネスオンリーの付き合いの方から届けば違和感を感じるし、数ヵ月以上も前の三等親以上の喪中を伝える葉書にも釈然としないのである。 世間では派手な葬儀を敬遠して家族葬でしめやかに故人を送る例も増えているというのに、喪中葉書だけは衰える気配がない。
止揚学園から届いた冊子の福井先生連載は、死というものの受けとめ方について、とても優しく書かれていた。そんな折りに届いた喪中葉書を見れば、ウーンと考え込む茫猿である。


そもそも喪中とはなんであろうかと、広辞苑をひもとくとこう記されてある。
広辞苑によれば、「喪中とは、喪に服している間」とある。 では喪とはとみれば「死亡した人を追悼する礼。特に、人の死後、その親族が、一定期間、世を避けて家に籠もり、身を慎むこと。親疎によってその期限に長短がある。」とある。
そこでWebを検索してみると、明治7年に出された太政官布告(「忌服令」昭和22年に廃止)では、両親の場合を13カ月とする服喪期間が定められていた。 以下は、太政官布告による続柄基準とする服喪日数である。 ()内は忌日数。忌中と喪中の明らかな違いはよく判らないが、多分慎みの深さを云うのであろう。
父母:13カ月 (50日)、配偶者:13カ月 (50日)、子息:90日 (20日)、兄弟姉妹:90日 (20日)、祖父母:150日 (30日)  ※太政官布告では、配偶者の場合、夫と妻では区別されるし、祖父母も父方母方で区別されている。 子供も区分されるが、それらは時代にならい省略する。
忌服期間中は、故人の冥福を祈り、行いを慎いむのであり、晴れやかなことや派手なことは控えるものとされていて、正月は祝わないし、祭事にも参加しない。 年始まわりや神社、仏閣への初詣も行わないとされている。 歌舞音曲を慎み慶事はとりおこなわない、服装も喪服とまでは云わなくとも、しめやかなものを着用する。
茫猿が違和感を感じるのはこれからである。 ビジネスの場においても「忌中」といえば、晴れやかな席や派手な席、飲み会などについても遠慮することが認められる。 しかし一般的な忌中期間(49日)が過ぎれば、旧に復するのが通常だし、それを誰も咎め立てしない。 そのことはビジネスの場だけでなく日常生活においても同様であろう。 なにしろ法要のお斎(おとき:食事)は云うに及ばず、葬儀のお斎でさえ精進料理が稀な今日この頃である。
つまり、自らが喪中(服喪期間中)につき慎んでいるというならば、それは(喪中葉書)それなりに意味あることであろうが、自らの服喪が怪しいのに、《歌舞音曲:カラオケ、繁華街での飲食、海外旅行、非精進潔斎》、なぜ年賀だけ仰々しく喪中を伝えるのであろうか不思議である。 しかも、実父母、子息ならともかく、義父母、義祖父母、叔父伯母に至っては、「ナンナノ」と思わざるをえない。
とは云うものの、この喪中葉書というものは、故人ならびに出す相手との親疎の判断は出す側にあるのだから、茫猿がとやかく言うのは筋違いなのかもしれない。 「私は貴殿を親しく存じております。つきましてはカクカクの次第により、私は服喪期間中であり身を慎んであります。」という意を行間に滲ませているのであろう。
それでも茫猿はこう考える。 であれば、「葬儀案内も受けていない喪中を今更に報せてくれるな、余分な気を遣わせないでくれ。」と考える。 茫猿は結構へそ曲がりなのである。
第一、喪中と言いながら、その実は年賀(状)欠礼の案内なのである。 その年賀状にしてからが、表裏ともに印刷の紋切り型賀状である。 そんなものを出さないと云って改めて予告などする必要がそんなにあろうかと考えるのである。 であれば、正月も過ぎたあたりに、「寒中見舞い」として、時候の挨拶やら、さり気ない近況報告などを伝えてくれた方が、余程気が利いていると思うのですが、09年も残すところ一ヶ月半を切った今日この頃、皆様はいかがお考えでしょうか。
紋切り型の「薄墨色」の喪中葉書が、秋深くに多く届くようになったというのも、茫猿が老いつつあるせいだろう。 そして、だからこそ、どのように縁者の死を迎えたらよいのか、縁者の死後にどのように世間と交わったらよいのか、自身の死の場合に縁者にはどのようにしてほしいのかと、考えさせられるのである。
ところで、年賀状について虚礼だから廃止しようという話を、最近はついぞ聞かなくなった。 以前は門松と共に賀状は虚礼廃止運動の目玉だったものだが、いつのまにやら虚礼ではなくなったのだろうかと考えていて、ふと気付いた。 時代が移って世間の風潮では、賀状は旧来からの佳きしきたりに転じてしまっている、ということに気がついたのである。
今月に入ってから、コンビニのPOPで目につくのは「喪中葉書印刷承ります。」であって、「賀状あります。」は陰に隠れている。 喪中などという言葉を知らなかった若者も、あれはナンナノと気付いて、そういえば夏前にオバアチャンが亡くなったのだと思い出すのだろうか。 そして太政官布告がホコリを払って復活するという訳である。
この頃の若者、いいえ若者だけでなく一部のビジネスマンのあいだでも「オメデトウ」メールが全盛だと聞く。 特に若者は携帯電話を使ったオメデトウメールが盛んで、だから除夜の鐘が鳴り終わる頃から「アケオメ・メール」が殺到して、サーバがパンクしかねないほどだという。 「アケまして オメでとう・メール」なのである。
その反動で、賀状は旧来のしきたりに則ったゆかしきものと評価されるようになり、その延長線上で「喪中葉書」も改めて見直されているということではなかろうかと考える。 もちろん牽強付会は承知の上であるが、「かつてはウザイものダサイものとされていたのに、時が移れば懐かしいもの、ゆかしいものと尊重される例は多いから、喪中葉書もその一つかも知れない。
そこでは本来の目的や用途が忘れられているから、「旧年中に血族や姻族を喪ったら喪中葉書を出すのが礼儀」と勘違いというか、拡大理解されているのではなかろうかと、腑に落ちたのである。

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