只管打坐について

 只管打坐は「しかんたざ」と読みます。賀詞アレコレにて些か、ちゃかしていますが、れっきとした仏教用語で、斯界の人に読まれれば、この罰当たり者と叱られるでしょう。
 最近、五木寛之氏の「他力」という本が大変話題になっていますが、私の生家は浄土真宗大谷派の門徒です。小さい頃から年輩の叔母や近所のお年寄りから「お他力」とか「弥陀本願」とか聞かされて育ちました。物心つくようになりますと、当然のことながら、「ナンマイダ、ナンマイダ」の抹香臭い世界に反発し、他力本願を怠け者の世界のように誤解し、宗教からは離れました。というよりは、それ程信心深い家庭ではありませんでした。


 法事は面倒な行事であり、やたら飲み食いする行事にどのような意味があるのか、実は今でも疑問が残っています。しかし、別項で掲載していますように、30前後から、娘の死や身近な人々の死に直面すると、仏教に対する感覚が少しずつ変化していったように思います。そんななかで、自力本願も他力本願も門外漢なりに少しずつ理解できるようになり、ある時「只管打坐」と出会いました。
 念仏三昧とも通じるところがあり、わかりやすく、抵抗無く受け止めることができました。常住座臥坐禅とでもいうのでしょうか。
 それで、正法眼像に一度は取り組んでみたのですが、あまりにも難しく、暇々に読める書物ではなく諦めていましたところ、『正法眼蔵随聞記講話』に出会いました。未だ、読み切った自信はありませんが、道元の思想の一端には触れ得たと考えています。
 この正法眼蔵随聞記講話の序の一部を引用して、ご紹介します。
 「現代に生きるわれわれは、頭だけが大きくなりすぎ、足腰が弱い。道元の宗教は人間の生きる基底に身体の鍛錬をおいている。これは坐禅によって支えられた思想であるが、われわれ社会人にとっては坐禅でなくともよい。太極拳でも合気道でも剣道でもスポーツでもよい。現在を乗り切るためには頭だけで考えるのではなく、大地にしっかりと足を着けた身体で体当たりするしかない。」
以下広辞苑よりの引用
しかん‐たざ
【只管打坐・祗管打坐】  禅宗で、余念を交えず、ひたすらに坐禅をすること。
しょうぼう‐げんぞう
【正法眼蔵】  悟りの真髄。「眼」は眼目、「蔵」は真理を包蔵していること。道元が仏法の真髄を和文で説いた書。
どうげん(1200~1253)
【道元】  鎌倉初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。京都の人。内大臣久我(土御門)通親の子。号は希玄。比叡山で学び、のち栄西の法嗣に師事。
 1223年(貞応2)入宋、如浄より法を受け、27年(安貞1)帰朝後、京都深草の興聖寺を開いて法を弘めた。44年(寛元 2)越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開く。著「正法眼蔵」「永平広録」など。諡号しごうは承陽大師。
→著作『正法眼蔵随聞記』
→著作:『正法眼蔵』
参考文献:
しょうほうげんぞう-ずいもんきこうわ【正法眼蔵随聞記講話】
鎌田茂雄著、講談社学術文庫785

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