基地と墓地、(沖縄)

鑑定協会福井シンポジウム参加に続いて、休む間もなく沖縄県士協会
と岐阜県士協会の交流会に参加しました。固評業務の話や鑑定業界が抱
える課題について意見交換し、同時に沖縄県固有の不動産事情の数々に
ついて教えて頂きました。
岐阜県士協会は全国各地の士協会や部会と大小様々な交流の場を持っ
ております。
継続的なものとしては、三重県から岐阜県、滋賀県、福井県を結ぶ中
部縦貫四県鑑定協議会があり、概ね毎年幹事県を移動して意見交換や共
通する課題についての協議を行っています。
単発的なものとしましては、北は宮城県から南は今回の沖縄県に至る
全国横断的に各県部会や士協会との交流の場を幾つか持たせて頂いてお
ります。
この交流の場は、岐阜会の会員多数が積極的に参加して、先方県を訪
問し交流させて頂くと同時に、岐阜会としても懇親を深め、その時々の
訪問先地から岐阜を改めて眺める場でもあります。このことにより、自
らの置かれた状況を客観的に批判的に内省するという効用をもっている
と考えます。
茫猿自身は沖縄は三度目ですが、先二度は石垣島が主であり、仕事が
中心でした。今回、本島を中心に沖縄県を訪問させていただいて、改め
て感じましたことを、二三ランダムに書き述べてみたいと存じます。
それを一言で云えば「基地と墓地」ということになりましょうか。
沖縄二泊三日の最初の朝、地元紙朝刊を読んでいて興味深かったのは、
死亡広告でした。茫猿がよく目にする死亡広告は、死亡通知と喪主と葬
儀式場案内が主な内容ですが、沖縄は違っていました。
本土同様の死亡広告の記事内容に続いて、喪主から始まり、喪主の嫁、
長男、長男嫁、長女、長女婿、次男、次男嫁、次女、次女婿、孫、孫嫁、
孫婿、曾孫代表、甥姪代表、自治会長、老人会長と延々とお名前が続く
のです。その朝の10件ほどの死亡広告の内、最大記名数は合計60余
名連名の死亡広告でした。
若い方(享年16歳)の方の場合は、父、母、兄弟姉妹、父方母方双方
の祖父母、叔父叔母、伯父伯母、従兄弟、親戚代表、友人代表、在籍学
校長、PTA会長と、やはり多数の連名広告でした。
これは、沖縄というより琉球の風土及び風俗慣習に根ざすものだと教
えられました。御承知のように琉球の墓は、本土と異なり大層立派なも
のです。中国風の屋根を持ち、重厚な扉と墓室を持っています。建設材
料は石造或いは鉄筋コンクリート造であり、敷地も30平方メートルを
超えるものが多くあります。清明節には墓前に一族が集まり、故人を偲
のぶ集まりが催されると伺いました。
又、この墓地は一族のものであり、個人或いは一家のものではないとも
伺いました。この一族意識或いは親類一族一統を大切にする心や習慣が
死亡広告にも現れており、死亡広告を一族で出すことにつながっている
のでしょう。
基地については多くが語られており、感慨だけを述べます。
那覇軍港から東シナ海沿いに、普天間基地、北谷の基地、嘉手納空軍基地、
知花弾薬庫に至る国道58号(返還前は1号線)は、六車線の広いほぼ直
線に延びる道路であり、中央分離帯は仮設に近いものしかありません。
これは軍事緊急事態に備えて、軍用自動車の通行支障物を置かないこと
云うことと、時には緊急着陸滑走路に転用することも考えてのことと教
えられました。
又、国道の両側は基地の鉄条網が延々と続いており、交差する道路も
信号も疎らです。ですから、自動車は直線道路を高速で走っており横断
はなかなか困難です。鉄条網には一定の間隔をおいて、軍用犬が巡回し
ているからフェンスを越えないようにという注意看板が掲示されていま
す。
知花の弾薬庫は、知らずに見ますと手つかずの自然が溢れており、そ
の天然更新照葉樹林地の美しさに感動します。しかし、その溢れる自然
の地下には弾薬庫が隠されているのだと知れば、別の感慨がわいてきま
す。軍港と空軍基地と弾薬庫を直線的に結ぶフェンスに囲まれた道路は
まさに軍用道路であり、沖縄のおかれた立場を雄弁に語っていると感じ
ました。
島唄の居酒屋と美人のネーネーズ、八重山のコーコーズの話。
20年もの泡盛クーシュと瓶出しの話。
カチャシーを楽しむには最終ステージの話。
チャンプルーのあれこれと、沖縄そばとソーキそばの違い。
姫百合の塔と知覧記念館に共通する若者の視線の話。
戦火に大半が焼けたなかで、奇跡的に残った中村家住宅の話。
軍用地地代と地価の関係の話や、離島の地価調査の大変さ。
等々は、稿を改めて書きます。
沖縄は基地の島であると同時に、日本史上、最も新しい戦跡の場所で
もあります。そして今も軍事施設との共存を余儀なくさせられています。
嘉手納空軍基地や知花弾薬庫について
http://www.pref.okinawa.jp/97/base/over_photo/kadena-airport.html
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/%7Etamura/okinawa2.htm
中村家住宅について
中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えた建物です。
沖縄本島内でこのように屋敷構えが、そっくり残っている例はきわめて
珍しく、当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるという
ことで、1956年に琉球政府から、1972年に日本政府によって、国の重要
文化財に指定されました。(HPよりの引用)
http://www.imicom.or.jp/~knaka/
素朴でありながら重厚であり、南国の気候風土に適したヒサシの深い
造りで、雨戸と内戸があるのは台風に備えてのことでしょうか。
イチバンザという主座敷の北側の控えの間(ウラザ)で、試しに横になり
ますと、涼しい風が抜けてゆき、心地よい眠りに誘われます。
私たちが失ってしまった、のどかで豊かな生活の場を感じました。
又、岩手県の南部曲がり家は、牛馬と生活を共にする構えですが、琉球
の民家は牛と馬だけでなく、山羊や豚とも生活を共にする構造をもって
いるのは、とても興味深いことでした。

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基地と墓地、(沖縄) への2件のフィードバック

  1. 越来中の人 のコメント:

    始めまして!越来中の人です。教えてほしい事があります。
    今、学校の社会の時間に沖縄と北海道調べをしていて、沖縄の事について教えてください!!
    沖縄の土地利用というテーマです。
    沖縄県にある、アメリカ基地の規模?を教えてください!!

  2. bouen のコメント:

    越来中の人へ
    沖縄県越来中学校の生徒さんでしょうか?
    bouenは岐阜県在住ですから、沖縄県にある米軍基地の規模、その他について詳しくは知りません。
    しかし、お調べになるなら、Google検索「沖縄 米軍基地」で様々な情報が得られます。(検索の際に沖縄と米軍基地の間には半角スペースを入れて下さい。)
    言うまでもありませんが、沖縄の中学生であるなら県庁、市役所などへ行けば正確な情報が得られると思います。他にも沖縄開発庁HP、沖縄タイムスHP、琉球新報HPなど情報源は幾つかあります。後はご自分の努力で調査して下さい。

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