K先輩への返信

尊敬する斯界の大先輩K氏より、概略次のような長文のお便りを頂きま
した。同様のご意見は随所で頂いておりますので、K氏にお答えするこ
とで、私の考えを申し上げたいと存じます。
<K氏のお便り要約>
「固定資産税標準宅地評価・平九体制」の仕組みは、現行の法的・制度
的制約のもとで許容されるであろうギリギリの枠組みの中で考案された
スキームであるということを、貴殿に理解していただきたい。
 御承知のとおり、鑑定士の行う鑑定評価との関わりを担保する法的・
制度的手当という点で、公示と固評では雲泥の差があります。
満点に近い公示に比して固評はゼロに近いのです。
 固評平九体制には、大量評価のバランス保持の何たるかをわきまえ、
公的評価の公平・適正化に使命感を持って取り組んだ当時の関係者各氏
の、知恵の結晶ともいうべきものが込められています。
 しかし、どんなに知恵を出し合い最善を尽くしたといっても、固評を
取り巻く現行制度の厳しい制約下のもとで考え出されたものであります
から、自ずと限界があり、貴殿のご指摘のとおり、「曖昧さ、不透明さ、
矛盾の多さ」が潜んでいることは否定できません。
 それでも、貴殿のようにこの固評スキームに内在するウイーク・ポイ
ントをあれこれあげつらうのは、現実の問題として直ぐには実現しそう
にない法改正や制度創設を前提にしての批判であり、遠い将来のことな
らまだしも、今当鑑定協会が直面している問題解決には何の役にも立た
ない。むしろ最後の拠り所までも喪失せしめる安直な発想としか思えま
せん。
<以上、K氏のお便り要約>
 茫猿が10/22(日)付け『鄙からの発信』「H15固評を見据えて・総括
と展望」のなかで申し上げております、「鑑定士会設立と地方税法施行
令による地価調査準拠・固評評価大系の確立」については、理想論に過
ぎる、現実にはとても実現しそうに無いというご批判はK氏のみならず、
多くのお声を頂いております。 事件渦中の者が何を言うかとお怒りの
向きも、多かろうと承知します。
 茫猿自身としても、実現は困難と云うよりも、不可能に近いと考えて
おりますし、同稿中でもそう申しております。
<鄙からの発信10/22・引用開始>
 地方税法改正は可能か、岐阜鑑定士会設立は可能かといえば、両者と
もにとても困難です。
 しかし、地方税法施行令に「国土利用計画法施行令第九条に類似する
規程を設けることは、可能性があると考えます。
同規程に類似する規程が地方税法施行令に設けられれば、地価調査に準
拠した固定資産税標準宅地評価業務を実施できる根拠が明確になります。
<引用終了>
 勿論、施行令の制定とても簡単ではないでしょう。第一に規制緩和の
時代に鑑定士の権益を増やす法令が、安直に新設できるとは、とても考
えられません。
 それにもかかわらず、何故に理想論を申し立てたるかと云いますと、
一つは、「現状という既得権」の維持に汲々としている同業諸氏に、視
点を変えれば (言い換えれば一般社会から見れば)、如何に見えるかを
指摘したかったのです。
 もう一つは、私が常に理想論を申し上げるのは、現実論に埋没して現
状を手直しすることに没頭していては、見えるものも見えなくなるから
です。
 いわば、理想は高く、現実の行動は着実にというところでしょうか。
君子豹変は得意な茫猿ですが、今は、弥縫策は取らないというのが茫猿
の基本姿勢です。
 理想論を掲げる、もっとも大きな理由は、社会の信頼をかちえたいか
らです。現実に妥協した(失礼な申し条をお許し下さい。)スキームを
考えざるを得ないことは重々承知していますが、いささかも不透明さや
矛盾するところはないのでしょうか。そのような鑑定協会の在り方で社
会の信頼と敬意を獲得することができましょうか。
 極論を云えば、固評・評価大系に鑑定評価が欠かせることができない
ものであるならば、鑑定評価の存在が衡平・適正な固評評価に必要不可
欠な存在であるならば、社会がスキームを用意して鑑定士を迎えてくれ
るでしょう。
 鑑定士が固定資産税標準宅地評価の公平化・適正化に応えられる存在
であり続けること、そのことこそが最も問われることなのではないでし
ょうか。
 「書生論という声」は承知の上で、「青いという批判」も甘受して、
少しでも理想に近づきたいと考えますし、理想を追うことで現実の矛盾
点もより明らかに見えてくると考えています。今の段階では、理想論を
掲げ現状の問題点を指摘し、次の段階では現実と妥協したいと考えてい
るのです。
 言い換えれば、鑑定業法違反の恐れ、
「鑑定士に固評鑑定評価員委嘱状を発行しながら、その所属業者に鑑定
 評価書を発行させ、報酬は士協会が受け取ることなど。」や、
 独禁法に抵触しかねないスキーム
「鑑定業者を取りまとめることをスキームにうたうことなどを行えば、
 真っ向から独禁法違反でしょう。」など、
 以上の二点を、少し離れた視点から(市民の視点で)考えてみることも
必要なのではと思うのです。遵法精神が欠けた鑑定士ほど、困った存在
はないと考えるのです。
 茫猿としては、地方自治・地方分権の流れのなかで、新しい固評スキー
ム・岐阜バージョンができれば一番いいと思っています。
水面下の活動は始めつつあり、理解者もできつつあります。
もう少しお時間をください。
 K氏への返信の終わりに、「夢想論に過ぎる」というご指摘には次の
ようにお答えします。
議論の際に、よく使われる常套句があります。
・それは理想論だ、現実はそんなに甘くない。
・しかし、理想を持たずして、現実を脱却する事が可能でしょうか。
・現実論をとなえる人々は、現状の既得権に安住を希望します。
・対論を、理想論だとか、夢想論だとか言って、切り捨てます。
・理想論を一刀両断に附し、護送船団の安穏を貪る人々に未来はない。
・現実論から、ブレイクスルーは生まれないと思います。
・理想の天空を目指して、現実の地平から階段を一歩、また一歩
・歩みを進めることからこそ、新しい展望が見えると考えます。
 風急に天高く猿嘯哀し  (杜甫 登高より)
             今の私の心境は、この句が全てです。
いつもの蛇足です
 朝日新聞名古屋本社が、全国の単位会宛にH12固評契約に関するアン
ケート調査を開始しているようです。
この種の調査は答えなければ「アカウンタビリテイの不足」を問われま
しょうし、答えれば答えたで「矛盾点の存在」などを追求されましょう。

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