軛の消滅と革袋の溶解-1

 インターネットと情報の在り方について投稿を受け取りました。
 「inetと情報」について、鑑定士に限らず現代に生きるものにとっては、それ自体を自己の中でいかに位置づけるか避けて通れない時期が近づいているというより、必須になりつつあると考えております。
 日頃とはいささか毛色の変わった文書ですが、お口直しに提供します。
・投稿者プロフィル
・専門家・コンサルタントを対象とした情報共有事業「 Biz-in」主宰者
・「TAKUMI プロジェクト」主宰者


《転載開始》
「軛の消滅と革袋の溶解-1 情報のあり方についての小考」
▼はじめに
 インターネットの普及は我々に様々なインパクトを与えた。
この風変わりなメディアは、その力を誰もが認めざるを得ないほどに大きくなったにもかかわらず、未だ正体の判然としない怪物のように語られたりもする。
 このインターネットとは、何者なのか?
 現状において、インターネットは情報という財を流通させるためのメディアとして 機能している。そしてこのメディアは、情報というものの本質的なあり方を剥き出しにして、誰もに分かりやすく明示し続けている存在でもある。
 ここでは、情報という財の特質を考察するとともに、今後の社会において、情報というものがインターネットによってどのように取り扱われるかについての考察を行いたいと思う。変革はまだ過渡期であり、筆者の未熟もあって、完全な形式を備えた論説とはとても言い難い。 が、及ばずながらその一端を解明できればと考えている。
▼備考
・モノ
 ここでは、「物質的形状を持つ存在」と規定する。
・価値と価格
 ここではこの両者を区別する。価値とはそのものの効用であり、価格とはそれを貨幣によって置換・計量した数値のことである。
・プライシング(=価格付け)
 価値を価格に置換する行為を、ここではプライシングという言葉に統一する。
◆第一章
 現状
▼希少性という概念
 資本主義の原則として、財は市場において取り引きされる。
この場合の前提として、財の価格は需要と供給によって決定されていることが必要となる。
 つまり、財のプライシングには、その財の供給量=「希少性」が限定されることが必要である。 また、財は必ずしも入手が容易な場所にあるとは限らない。財は供給者のもとから 需要者のもとまで運んでやらなければならない。これが流通の基本的概念である。
原則
「財は希少性を持つがゆえに、プライシングが可能である」
「需要者が財を利用するためには、多くの場合流通チャネルが必要となる」
 市場メカニズムの必要性はほとんどこの2点に起因している。仮に無尽蔵にその財が存在し、入手が容易であるとすれば、その財の価格はゼロに等しい。市場メカニズムを用いて分配する必要がないからだ。
 そしてこのモデルは「モノ」を扱うときにはきわめて有効である。いかなるモノといえども、無尽蔵ということはないし、物理的形状を持つがゆえに、流通は必須である。
 ところが、この需要・供給モデルによるプライシングを拒む財が、我々の社会には存在する。それがいわゆる「情報」である。情報は前述の原則のうち、稀少性を無視する存在であり、流通のあり方を根本的に見直す必要のある存在である。
▼情報の定義
 もっとも、情報の定義は簡単ではない。ここでは便宜的に
・他者とコミュニケートされる人間精神の創造物。
それは「物的生産物」に対立する 概念としての「知的生産物」である。
(坂本晋:「情報産業社会の演出者」より筆者要約)
 との定義を援用し、「情報とは、他者とのコミュニケーションを前提として記号化された、物質的形状を伴わないもの」とする。
▼従来の情報プライシング
 ここではまず、従来行われてきた情報のプライシング・セオリーについて考察してみたい。
 情報は必ずメディアによって運ばれてくる。情報というものが物質的形状を持たな い以上、流通のためには何らかのメディア、物質的形状を持つ必要性があるためである。
 そのため、同時にメディアは何らかの希少性をも保有している。
具体的には、
 印刷物・・・「紙」
 レコード・・・「レコード盤」
 映画・・・「フィルム」
 テレビ・・・「受像機と送信機」
 などが例示できよう。
 情報はこれらのメディアによって流通されることによってはじめて、モノの経済モデルで取り扱えるようになった。
 つまり我々は確かに「情報」に対して金銭を支払っていたのだが、実際にはメディアに対しての支払いであるからこそ、そこにモノを前提とした経済モデルを当てはめ ることができたのである。
 逆説的にいえば「何らかの形で物質的形状を持つメディア」であったからこそ、そこで流通する情報にプライシングができる。 このことは、現在の情報へのそれを見ても明白であろう。 テレビというメディアは比較的高コストであるが、それこそがテレビメディアによって流通される情報に高価値が付与されがちである根拠となる。情報それ自体の価値の高低とは、実は関係がない。
定義
 情報のプライシングは、情報それ自体の価値以上にメディアの価値に依拠している。
▼従来のプライシングの問題点
 ところが、この媒体に納められた「情報」だけを取り出してみれば、それは希少性という概念が存在しないことに気づく。
原則
 情報は複製が可能であり、劣化しない(=その効用は減少しない)。
 という理由による。問題は複製コスト、つまりは流通コストであるが、コンピュー タネットワークとそれに連なる記憶装置を用いた複製の場合、従来とは桁違いのコスト減少が起こった。メディアコストはただ同然ともいえよう。
 この場合、従来のような方法で情報に希少性を持たせることが困難になった。情報 という財は、既存の経済モデルに則って流通させることが原理的には不可能な代物で ある。インターネットというツールは、このことを多くの人間に理解させた。
 ここでもう一度整理しておくと定義
 情報そのものには希少性がなく、メディアに希少性を持たせることで一般の経済原 則に乗せることができる。 ところがインターネットの出現と記憶装置の低価格化により、メディアの希少性は 極めて主張しにくいものとなり、体系が崩壊しているの事態が現状である。
▼もう一つの希少性
 時間
 ここまでの議論では、希少性を「モノの存在」と定義した考察を行ったが、希少性 にはもう一つの定め方が存在する。それが時間である。 そこで、情報と時間との関わり方について考察してみよう。
 情報作成
 その情報を作成(=明示化といってもよい)するためにどのくらいの時間コストが生じたか。情報の消費、その情報を受け取るためにどのくらいの時間コストが生じたか。
 情報を従来の経済システムに合致させるために、時間という希少性を係数に用いた 置換方法を用いることは一見容易にみえる。 ところが、これにもやはり問題が山積している。
作成側からいえば、
 ・情報作成者の能力とは無関係に、作成コストが算出される。
 例えるなら、腕の良いエンジニアが1ヶ月で作成したシステムと、凡庸なエンジニアが2ヶ月費やしたシステムのレベルが同じ場合、時間を測定ツールに用いると、システムの内容が同等であっても後者の方が高い貨幣価値に換算される(現実にもそのような事例は数多い)。
 消費側からみても、
 ・情報消費者にとっての有用性とは無関係に、情報の価値が決定されてしまう。
 これは時間がまさにsunk costである点に原因している。消費者が情報処理に費やす 時間は情報使用コストでもあると同時にその情報の検証コストでもあるが、仮に検証した情報が消費者にとって無価値であったとしても有意義であったとしても、費やす時間は同じである。
つまり時間とは、情報の価値と無関係なコストなのだ。
例え消費の途中でその情報を無価値と判断し、消費を中断したとしても、費やしたコストつまり時間は二度と返ってこない。
 時間は、生産と消費の両面におけるsunk costの算定が容易であるという点において、それなりに意義のあるシステムではあるが、やはり問題点が多い。
▼時間あたりの情報量
 先ほど、メディアコストの高さからテレビの稀少性を論じたが、もちろんテレビメディアで流通する情報価格の高さはそれのみに起因するのではない。
 テレビはそのメディアの中に、複数の記号特性を流通させることができるメディアである。文字、音声、映像など。これらは同時に流通されるため、時間あたりの情報 量が極めて多いメディアである。大変コストパフォーマンスが高いともいえよう。この点も、テレビメディア情報が高価格である根拠となり得ている。
 ところで、情報はその量と価値が比例しない。多量であっても、その情報に効用が なければ意味がないのだ。この点も、情報そのものの価値とメディア価値が乖離する一因になっている。
▼インターネットの問題点
 「インターネットはタダ」という考えは広く流布している。そしてこの考えは、情報というもののあり方と照らし合わせると、あながち間違いではない。
 ただ、問題なのは、「情報作成」に関するコストすらも無視されてしまうことであ る。 従来は流通コストに作成コストを付加して販売されていた。つまりメディアという流通チャネルは同時に決済チャネルでもあったのだが、そのスキームが根本から 崩壊したため、情報を作成した人間に対する還元方法が消えつつある。
 もちろん、代価を求めないグループや、無料メディアと有料メディアを使い分けるグループも存在する。前者の代表例としてはソフトウェアのフリーソース運動、後者 には音楽などのサンプル配信が挙げられよう。しかしながら、根本的な問題の解決には至っていない。
(以下、次章に続く)

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