基準改訂その2(呪文と言霊)

【茫猿遠吠・・基準改訂-2(呪文と言霊)・・02.01.17】
『正常価格の原点回帰』
 正常価格を考える上では、更地イリュージョンの呪縛からの解放が必要だ
と考えます。鑑定評価制度の出発点が東京オリンピックや新幹線や東名神高
速道路建設にあったという出生時の時代背景が、今に至っても影を引いてい
るのではと考えます。更地イリュージョンとは、更地価格至上主義とでもい
いましょうか。或いは、全ては更地価格から始まるという幻想とでも云いま
しょうか。
 誤解を畏れずに別の云い方をすれば、公共事業の用地取得対価は正常価格
であるという呪縛が今も尾を引いていると云えましょう。
「私権は公共の福祉に従う」という憲法29条の規定を受けて、多くの問題
点のしわ寄せが正常価格に負わされているのではなかろうか。この項は天に
唾する行為ともなりかねないので深追いはしないが、制度発足後40年の金
属疲労がここにも現れているように感じます。
※憲法第29条
 財産権は、これを侵してはならない。
2.財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3.私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
※1962年制定の損失補償基準要項
 第七条の「取得する土地に対しては正常な取引価格をもって補償するもの
とする。」並びに第八条の土地の正常な取引価格定義が鑑定評価基準に大き
く影響を与えているし、補償基準の正常な取引価格とは鑑定評価基準の正常
価格概念と同一義であるという解釈も、大きな影響を与えていると考えます。
『改訂試案の正常価格定義』
 改訂基準骨子案は正常価格を次のように定義します。
「市場性を有する不動産について、現実の社会経済情勢の下で合理的と考え
られる条件を満たす市場で形成されるであろう市場価値を表示する適正な価
格」
 現実の社会経済情勢の下で合理的ということは、「風にそよぐ葦」という
風にも読めると申したら曲解が過ぎましょうか。
高度成長、ハイパーインフレ、デフレスタグフレーション、安定成長、
低成長、少子高齢化等々、時々の社会に応じて価格を求める前提となる市場
設定条件が異なることを容認する定義のようにも読めるのですが。
 市場から超越した価格は無意味であるのは当然だが、市場に迎合する価格
はさらに有害無益なものだと考えます。
 鑑定評価とはジャッジメントであると教えられた世代にとっては、違和感
を禁じ得ない。ジャッジメント『正常価格』を為し得た後に、コンサルタン
ト行為『特定価格・特殊価格・限定価格』が有るのであろうか考えます。
 今や、鑑定評価基準が正常価格以外の価格概念を持つ必要はないのではな
かろうか、鑑定士たるもの正常価格を表示した上で、依頼目的や依頼条件に
応じたコンサルタント意見を併記し、この両者の間に生じる或いは成立する
開差について明解に説明して有れば十分でなかろうか。逆に言えば正常価格
の必要且つ十分な説明のない特定価格や特殊価格や限定価格等が巻き起こす
波紋を避けることに全ての努力を注がねばならないと考えるのですが。
『基準における正常価格定義の変遷』
 鑑定評価基準における正常価格に関する定義の変遷をたどってみよう。
※1964年当初基準
 不動産鑑定士等が不動産の鑑定評価によって求めるべき価格は、正常価格
であることを原則とし、次の(二)に述べる場合には、特殊価格とする。
正常価格とは、不動産が一般の自由市場に相当の期間存在しており、売手と
買手とが十分に市場の事情に通じ、しかも特別な動機をもたない場合におい
て成立するとみられる適正な価格をいい、不動産鑑定士等は、まずこの正常
価格を求めるように務めるべきである。
『価格種類は正常価格と特殊価格』
※明解で判りやすいが、一般の自由市場の定義付けが問題となり、相当の期
間の解釈が問題となったと記憶している。
※1969年改訂基準
 正常価格とは、市場性を有する不動産について、合理的な自由市場で形成
されるであろう市場価値を表示する適正な価格をいう。
『価格種類は正常価格と限定価格並びに、なお書き価格』
※合理的な自由市場についての定義・解釈に関する問題点や疑問点は依然と
して残った。また、鑑定評価において正常価格先議の原則が削除された。
※1990年改訂基準
 正常価格とは、市場性を有する不動産について、合理的な自由市場で形成
されるであろう市場価値を表示する適正な価格をいう。この場合において、
合理的な市場とは、市場統制等がない公開の市場で、需要者及び供給者が売
り急ぎ、買い進み等特別の動機によらないで行動する市場をいう。
『価格種類は正常価格、限定価格、特定価格』
※合理的な市場の定義が為された基準である。
 鑑定基準改訂は改悪ではないのだろうが、少なくとも文章表現としては悪
文に墜ちている気がする。言葉が軽くなっているように見える。推敲という
言葉が死語になってしまったようだ。
『正常価格という用語の存在感』
 それぞれの職業分野では固有の大事な言葉がある。稲作では水と日照につ
いて、漁業では風と潮について、多くの大事な言葉があり、誤解の生じない
表現がある。鑑定評価においても大事にされねばならない幾つかの言葉があ
る。。
 鑑定評価で最も大切な用語は正常価格という概念でしょう。
シャーマニズムの呪文のように、老いさらばえた宗教の理解できない経文の
様に、ただただ唱えるだけの「正常価格論議」でよいのであろうか。
誤解の生じない厳密な定義付けが等閑にされているように思うのは、鄙人の
ひが目すが目だろうか。
 正常価格論が呪文論争や神学論争に墜ちてはならないと考えます。
正常価格という用語自体の妥当性や正当性が問われなければならない。
特に宅地なかんずく更地から説き起こされる鑑定基準の構成自体が変わるべ
き時期が到来しているのではなかろうか。
 先ず最初に複合不動産から始まらねばならない時代に至ったのではないか
と考えます。複合不動産という用語も少し変であって、宅地を利用すると云
うことは基本的に建物の敷地とすることに他ならず、洞穴生活と採集農漁業
生活でない以上は、人間の生活と活動の基盤としての不動産は建物とその敷
地に他ならないと考えるところから始まるのではと考えます。
 茫猿は、正常価格について、次のように考えます。
古典的な考えかもしれませんが、でもそのように考えるのです。
 鑑定士がその経験と識見を賭けて、独立して公平且つ中立の立場から求め
るのが正常価格だと考えます。 それは、時々の社会や経済の表層現象から
も独立且つ中立でなければならないとも考えます。
 また、この独立性・中立性は外見的独立性・中立性が先ず求められるもの
であるということにも、深く留意しなければならないと考えます。
 外見的独立性・中立性を具体的に言えば、名称から始まる事務所の在り様、
資本関係、提携関係、受託業務の偏在等が問われるものであろうと考えます。
 評価主体の在り様としては、地価上昇期には上昇要因に対して批判的に吟
味するものであり、下降期には下降要因を批判的に吟味することにより、表
象現象とか上滑りする潮流に対して中立で在らんとするものであろうと考え
ます。 常に、今後の展開を予測し、その予測を反映した(意識した)価格を
求めるものであろうと考えます。
 その意味では、時の政府の意向や、総資本の意志からも、中立であらねば
ならないと考えます。公示価格というものが、今後も存在意義があるために
は、その中立性をいかに確保するかと云うことが問われているのだと考えま
す。
 鑑定協会の会員構成の実態、その態様等、現実の状況は難しいものだと承
知しています。しかし、時にはあえて孤高を目指して、時には「現実離れし
ているという」内部批判に対しても、「今日の役に立たない」というような
社会の糾弾からも背を向けないことが必要なのだと考え、そのようなポジシ
ョンに少しでも近づこうとする姿勢が必要なのだと考えます。
 少なからずバブルに荷担してしまった反省なくして、基準をどのように改
訂しようと賽の河原ではないかと、考えるのです。

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