地球温暖化論の矛盾

【只管打座・・地球温暖化論の矛盾・・02.05.11】
 前号で、「地球温暖化論への挑戦・薬師院仁志著・八千代出版」について
ふれました。この本に書かれていることの真偽については、気候学に門外漢
である茫猿は判りません。しかし、論旨は明解であり十分に説得力のある著
述です。
 著者は、地球温暖化は科学的推論なのか否かを厳しく問いただしています。
化石燃料消費による温暖化なのか、地球の自然循環による温暖化なのかを問
うているのです。同時に声高に温暖化対策を主張する背景に、存在するかも
しれない「モノ」にも言及しています。
 著書末尾に紹介される氏の略歴によれば薬師院氏は自然科学者ではなく、
社会科学者です。社会科学者として、地球温暖化に関する多くの論文に疑問
を問い、同時に佐和隆光氏や宇沢弘文氏の著述にも疑問を投げかけています。
 そしてIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の結論や、地球温暖化
防止京都会議の結論にも疑問を表明しています。何より子孫の地球環境を保
全しようと云うようなムード的温暖化防止論の危うさを警告しています。
 彼の主張が正しいかどうかも問題ではありますが、彼の指摘を正しく理解
し、自分のものとして理解してゆくことは大事なことであり、他者の主張を
無批判に受け入れるのでなく客観的に吟味する姿勢が求められていると考え
ます。
「地球温暖化の現象分析」
 地球温暖化は80年代以降になって騒がれているが、70年代以前では地球寒
冷化が話題となっていたことの矛盾点について説明する論文は見あたらない。
 また、このまま化石燃料を消費し続け大気中の炭酸ガス濃度を高めてゆけ
ば近い将来に地球の平均気温が数度以上上昇し、南極の氷が溶けてしまい海
面が上昇するという温暖化論者の主張に対して丁寧な反論を加えている。
 一つは地球が温暖化するとしても、温暖化効果は大気全体が影響するモノ
であり、大気中のごく小さい割合を占める炭酸ガス濃度が影響する度合いは
小さく、それよりも大気中の水蒸気濃度が影響する割合がはるかに高いこと。
 一つは、地球が温暖化すれば南極の氷が溶けるのではなく、水蒸気濃度の
上昇により降雪量が増し、南極の氷河は大きくなるであろうと予測されるこ
と。仮に地球が温暖化しても、通年して氷点下である南極の気温は数度上昇
すうる程度では氷点を上回ることはないであろうこと。
 さらに大事なことは、地球温暖化論の根拠はコンピューターシミュレーショ
ンにあるが、コンピューターシミュレーションは前提条件によって色々な解
が得られるものであり、コンピューター予測を無批判に受け入れることは問
題が多いこと等である。
「地球気候の循環」
 地球の環境が現在に近似する状態になって以来(最近数十万年ほどの間)、
地球は氷河期と間氷期を繰り返してきたことは、実証データに裏付けられた
歴史である。そして現在の地球は約1万年前に最後の氷河期が終わり間氷期
にある。間氷期の長さは予測できないが、過去の循環経緯からすれば間氷期
の半ばを過ぎつつあり寒冷化に向かっているという論も有力である。
 さらに間氷期は氷河期気候から一直線に温暖化に向かい、温暖化の頂点を
極めたら一直線に寒冷化に向かうというものではなく、数十年あるいは百年
程度のサイクルで温暖化と寒冷化を繰り返しながら、次の気候期に向かうも
のであるとも主張する。そして最近の気象観測歴史や自然災害の歴史から、
その主張を検証している。
「地球温暖化警告論のもつ曖昧さ」
 地球温暖化警告論は、コンピューター予測に寄りかかったプロパガンダ的
な傾向が強く、科学的論旨が乏しいと彼はいう。特に温暖化論者が化石燃料
消費から原子力利用を進めようとする点に疑問を呈し、ムードに流されやす
い「地球に優しく論」を戒めている。
 特に海面上昇予測との関係から、日本中の護岸堤防補強嵩上工事を推進し
ようと云うような主張の愚かしさにもふれている。
 茫猿の記憶が正しければ、60年代には次の氷河期到来が警告されていたと
記憶します。そして次の氷河期が到来するまでの数千年は、数十年~百年程
度の間隔で小氷期と小間氷期を繰り返しながら寒冷化に向かうであろうと予
測されるものです。化石燃料の浪費は好ましいことではないでしょう。
が同時に、いたずらに声高な温暖化警告論も好ましいモノとは考えません。
 メデイァがもたらす情報を無批判に受け入れることなく、温暖化論者の主
張と薬師院氏の批判を客観的に吟味する態度が一番求められているというの
が、茫猿の読後感です。
 年々高まりを見せているリサイクル運動も評判の割には、エコロジーに反
する場合も多いようである。リサイクルは良しとしても、リサイクルに消費
するエネルギーの多さが問題なのである。
 つまりリサイクルするのであれば、リサイクルに無理の無い資材・容器を
使用する方法を選択すべきであると云うことである。同時にワンウエイ容器
を使用するので有れば廃棄焼却に無理のない資材・容器を使用するという選
択が必要なのであり、何でもリサイクルすればよいと云うことにはならない
のである。ペットボトルについても、数回の再利用をする国もあるという、
一見もっともらしいリサイクル運動も吟味が必要なのである。
 マスコミが一斉に有る方向に走ったときに、それは危険な兆候なのだと、
一歩控えて冷静に検証するという姿勢こそが情報氾濫時代に一番求められる
ことなのだと思います。TVワイドショーに登場してあらゆる問題に軽々し
い尻馬発言を繰り返す「コメンテーター」なる人種には、眉に唾付けて対処
したいものです。
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・・・・
 有事立法に疑問を呈していたら、中国瀋陽の日本領事館で北朝鮮難民の中
国警察による拿捕を傍観するという事件が起きました。領事館は日本の支配
するエリアであるとすれば、これこそ有事ではないでしょうか。
 日本という国が難民や亡命者に冷たい国であるという評判は世界に高いよ
うです。また雑誌情報の域を出ませんが、日本の在外公館は日本国民の保護
に対して腰が引けているという批判も根強くあります。自国民の保護すらま
まならない外務省が、難民に対して冷たいの当然過ぎる現象でしょう。
 中国警察の行き過ぎを非難することは当然ですが、当事者である領事館の
対応が適切であったかという反省を欠いてはならないと考えます。
 外務省に限らず、霞ヶ関は国民を直視しているとはとても思えません。
狂牛病問題、輸入遺伝子組み替え食品問題、輸入残留農薬食品問題、薬害エ
イズやハンセン氏病問題等々、数え上げればきりがありません。
 そういった内向き或いは消費者・需要者でなく生産者・供給者を向きがち
な行政の在り方の一面が端的に現れた事件ではないのかと思いました。
 父母が中国警官に取り押さえられる一部始終を、涙を浮かべて見守る幼児
と、その直ぐかたわらで傍観する日本領事館員という映像が全世界に配信さ
れたという事実を、私達はどう受け止めたらよいのでしょうか。
・・・・・・追伸です・・・・・・・・・
 この原稿を書き終えたのが昨夕7時でした。今朝の朝刊やTVは類似の見
解を伝えています。特に田中秀征氏は「外務省をはじめとする官庁がどちら
の方向を見ているのかが問われる」とコメントしていました。
・・・・・・・本日これまで・・・・・・・

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